真剣に取り込んでいるかなんて誰かが決めることではなく自分で決めること

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コラム
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私は昔から努力とか根性みたいな言葉に疑問を覚えていたのですが、ある人にとっては頑張っているつもりでもある人からすればそれは頑張っていないと言うことってありますよね。

努力や根性って結局抽象的なことなので、誰もが自分のものさしで計るしかないことです。

それなのに人は人を見てあいつは頑張ってるだの頑張ってないだのと批評し、上手く行っていない人や失敗した人を見て努力が足りない根性が足りないと決めつけます。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

努力や根性でどうにかなるなら世の中これほど簡単な事はありませんよね。

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いくら努力しようが真剣に取り組もうが無理なものは無理なのです。

例えば、天皇になりたくても天皇にはなることはできません。

どんなに努力しようが才能に溢れていようが天皇になることは天皇家に生まれるほかに方法はありません。

これはいくらなんでも極論過ぎると思う方もいらっしゃるかもしれませんが、他にも今から大地主になることはほぼ不可能に近いですし、総理になることもほぼ不可能に近いと言えます。

一見頑張ればできるだろと思われることでもそこにはコネや資金力、才能や家柄、そしてもちろん能力に加え顔の広さ(人望)も必要となってきます。

戦国時代のように一農民出身の秀吉のような大出世は現代においては不可能だと言えるでしょう。

これはスポーツ界でも芸能界でもどのような世界にも言える事です。

芸能界はやたら二世タレントが増えており、スポーツ選手は親や家族もアスリートである場合がほとんどです。

政治家も同じく今活躍されている方々の多くは二世三世資産家など、名の知れた家柄であることがほとんどです。

そんな中で努力や根性などと言うことはなぐさめにしかなりません。

もはや努力も根性も、人が真剣かどうかなんてものは人に決めてもらうものではなくてめえで決めることなのです。

なぜならいくら自分が努力していても家柄や資金力によっては努力とみなされない場合もありますし、自分がいくら真剣にやっているとしても結果がなければ人はそれを真剣とは認めません。

要は相手主体で決めてもらうようなものであれば、誰一人として真剣に努力している人なんて存在しなくなってしまうのです。

人には二面性があって、めちゃくちゃ努力しているように見える人も実は裏ではサボりまくっている人かもしれませんし、いつもサボっているように見える人も裏では努力していることもあるのです。

自分が真剣に努力しているのかどうかは自分にしかわかりません。

あなたは自分は努力していると思いますか?

思えないのなら努力が足りないのかもしれません。

しかし、もし自分では十分に努力していると思えるのなら十分努力しているのです。

結果はどうあれ努力しているかどうかは自分が決めることです。

自分でどう思うのかが重要なことなのです。

人の評価を気にするなとは言いませんが、自分が真剣か努力はしているかを決めるのは誰かじゃありません。

あなた自身なのですから。

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