京アニ放火事件の被害者実名報道は必要だったのか

コラム
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先日起きた大事件。

今世紀で最も大きく悲惨とも言えるほどの大事件が京都でありました。

被害者は30人を超え多くの死者も出た凄惨な事件でしたが、あれから1か月以上が経った今あることで強い批判の声が上がっています。

そのあることとは被害者の実名報道です。

すでに一部の有名人も苦言を呈している実名報道の件ですがみなさんはどう思いますでしょうか?

感情論としては被害者遺族の考えを尊重し控えるべきだったと思います。

しかし感情論を押しのけてでも時には合理的に考える必要がある場合もあると思います。

では今回の実名報道はなぜ行われてしまったのか理由を考えてみたいと思います。

実名報道のメリット

まずシンプルに知ってる人の安否確認ができるというメリットがあります。

家族は報道なんかされなくてもどうなっているのかわかりますが、友人や知人などには伝わっていない可能性があり、こういったことってなかなか大丈夫でしたか?とは聞きにくいとも思いますので報道されることのメリットと言えるのかもしれません。

これは裏を返せば安心させるためとも言えます。

自分の知り合いじゃないことを知って安心する気持ち、同じ場所でも自分の知ってる人の働く場所に被害がなくて安心する気持ち。

凄惨な事件に深い悲しみや憤りを感じるのと同時にこういった安心する気持ちがあるのもまた事実です。

残酷に思えることではありますが、悲しみと怒りが同時に存在できるのと同じようにその他の感情が同時に存在することもまたおかしなことではないということです。

安心感の他にも好奇心というのも人によってはあるかもしれません。

ニュースになるほどの大きな事件ですし野次馬のように興味本位で知りたがる人も中にはいるでしょう。

どのような理由であれその報道をたくさんの人が観ること。

これはテレビや新聞などのメディア側からすればしめたもの。

テレビは高視聴率で、新聞や雑誌などはたくさん売れれば嬉しいですね。

嬉しいなんて言葉で言うと悪意があるように聞こえますが、テレビも新聞も民間企業がやっているところは営利目的で会社をやっているので儲かる方が良いと考えると思います。

なので批判を覚悟で、というかむしろ批判されることも注目を集めるのに有利だとすら考えているかもしれません。

どれだけ批判をされようとも注目されて記事が売れたり視聴率が上がれば勝ちです。

そして、それだけ売れたり視聴率が高いということは関心が強いということでもあります。

だからこれだけ批判を浴びても実名報道に踏み切るのではないかと思います。

個人的には被害者というのは弱者の立場だと思います。

今回の件で言えば一方的に事件に巻き込まれて被害にあわれて加害者により蹂躙されました。

加害者は人の命や人生を奪い、日本の誇るアニメの財産を奪っていきました。

そんな多くのものを奪われた被害者、弱者に対してマスコミは追い打ちをかけるように報道をしたことが、私は弱者を食い物にしているように感じられました。

これが遺族や被害者本人が報道を認め、報道してくださいと要請されてやっているのなら話は変わってくるのですが、聞けばほとんどの被害者遺族は実名報道はやめて欲しいと話していたそうですね。

なんだか怖いですね。

最近は煽り運転のニュースが多いですが、一番人を煽るのがうまいのはメディアなのではないかと思います。

ですので私たちも感情を煽られてメディアに流されないよう気を付けなければなりません。

そして、マスコミ関係だけでなくSNSなどでまだ加害者が特定されていないなかで安易に流してくる情報に踊らされてはいけません。

感情は時に人を狂わせてしまいますから、怒りや悲しみ恐怖に支配されないようお気をつけください。

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