人間いろんな人がいますが、そのほとんどの人が幸せになりたいと願っていると思います。
幸せになりたいと願っている人の中には、今ある不幸をなくしていけば幸せになると考える人もいます。
しかし、それは大きな間違いです。
人は不幸がなければ幸せになることはできません。
不幸があるから人は幸せだと感じることができるのです。
あなたにとっての幸せってなんですか?
例えば、おいしいものを食べることが幸せだとします。
おいしいものを毎日食べることができるようになればとても幸せだと感じます。
それが1年2年と続いたらどうでしょう。
何年もおいしいものを食べ続けたあなたは、もはやそれは幸せではなく、いつもの日常として考えるようになるのではないでしょうか。
そうなるとそれはおいしいものではなく、普通の食べ物になります。
するともっとおいしいものを食べたいと考えるようになります。
ずっとこの繰り返しです。
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では不幸とはなんでしょう。
例えば、おいしいものが食べられないことが不幸だとします。
毎日おいしいものを食べたいと願いながら普通の、またはおいしくないものを食べて生活するのです。
このように、幸せの反対が不幸だというのが一般的で、この場合「おいしいものを食べられる」「おいしいものが食べられない」という二つの思いが幸と不幸の違いとなっています。
少し戻ってみてみましょう。
この場合の幸福が続くと「おいしいものが普通となる」と言いました。
幸福がずっと続いた状態というのは、それが普通で当たり前になると言うことでもあります。
これがどういうことなのかと言うと、おいしいものを食べるのが当たり前になるのですから、それはつまり幸せと感じづらくなっていくと言うことでもあるのです。
いや、もっとおいしいものを食べればいいだけじゃん。とお考えになる方もいるかもしれません。
それは間違いではありませんが、物事はある一定を越えると大きく変化することはなくなっていくのです。
例えばテレビなどの電化製品。
昔と比べればものすごい変化ですが、去年の電化製品と今の電化製品にそこまで大きな違いはありませんよね。
PCや携帯電話も同じで、昔よりは相当小型でスペックの高いものが安価で手に入る時代です。
しかし、ある一定まで来ると、段々進化する幅が狭くなり大きな変化は見られなくなったと思いませんか?
これは食べ物でも同じことが言えます。
おいしいものはそろそろ限界が見え始めているように思います。
そのため、最新の料理はまるで科学の実験のような器具を使って調理し、今までになかった斬新な見た目や調理法をすることが多くなって来ています。
これは今までの調理法ではもう限界だと示しているではないでしょうか。
つまり、よりおしいものを食べ続ければ幸せだという考えは、間違いではない代わりに、幸福感も変化が少ない分少なくなると言えます。
ではどうすれば幸せに暮らす事ができるのでしょうか。
それが、不幸を知ることなのです。
不幸を知る。
例えば、おしいものを食べられない。
または、不味いものも食べる。
これらがあるからおいしいものを食べることで幸せだと感じることができるのです。
人は不幸をなくすことで幸せになれると考えますが、それでは幸せなのではなく、不幸ではない状態です。
不幸ではない状態とは、幸福でもありません。
なぜなら、幸福は不幸を基準に感じるものだからです。
人は不幸を知らなければ幸福を感じることもできません。
つまり、幸せになるということは、不幸を知る必要があり、不幸にならなければ幸せにはなれないのです。
厳密に言えば不幸にならなくても幸せになることはできますが、恐らくほとんどだれもその方法を実践することはできません。
不幸を知らずに幸せになるには、自分が幸福だと思い込むのが唯一の方法だからです。
あなたは自分が幸せだと信じることができますか?
誰かに何を言われても、誰かの暮らしや生活を見ても、それでも自分が幸せだと信じられますか?
人は誰かと比べなければ何も知ることはできません。
それは大きな学びとなる反面、大きなストレスともなります。
そしてときに何かと比べることで人は自分を不幸だと思い込むようになってしまうのです。
本来なら比べることはとても有意義なものですが、人や物、周りの環境などと自分を比べて自分が人より劣っていると感じること、これにより人はより成長することができるのですが、その劣等感に苦しみ負けてしまうことをコンプレックスと言います。
つまり何かと比べることで、人は成長し学びを得ることができるのですが、逆に人と比べることで自分を信じることができなくなり詩人を失い、劣等感を感じ苦しむことになり得るのです。
幸せを感じるためには不幸を知り、それと比べなければ感じることはできません。
本当は誰にも幸せの姿はわからないのです。
しかし、確実に幸せと言うものは存在し、今も誰かが感じています。
その一方で今もだれかが不幸を感じています。
その不幸がなければ幸せを感じることができません。
だから人は悪いことがあったあとには必ずいいことがあると言うのです。
悪いこと、つまり不幸が幸福に気がつかせてくれているのかもしれません。
あなたはそれでも不幸をなくしたいと思いますか?
それではまた。
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