努力とか頑張ると言う言葉が嫌いな理由

sponsord link
コラム
この記事は約5分で読めます。

一般的に世間では努力と言う言葉が好きです。
頑張っている人を応援したり、夢に向かって頑張ることが好きだったり。

努力って素敵なことですよね。
しかし、私は努力と言う言葉が好きではありません。

なぜなら努力をすると言うことは、今はしていない、または足りていないと言っているようなものだからです。

努力って生きていれば多少誰でもしていることですよね。

捉えようによっては努力とは、生きることであるとも言えるのではないでしょうか。

sponsord link



努力と言う言葉が好きな人の中には、努力していない人を嫌いだと言う人がいます。

なまけていたり適当に漫然とすごしていたりする人を嫌い、時に批判することもありますよね。

頑張ることってなんなんでしょうか?
仕事や勉強、スポーツや夢などに向かって考え行動することですよね。

努力好きなのは良いことだと思うのですが、努力好きで努力をしていない人のことが嫌いな人はなにをもって努力していないと判断するのでしょう。

いくつかあるとは思いますがその1つが「なにかを犠牲しているか」「大変そうにしていて苦労しているか」「わかるようにやっているか」と言う点ではないかと思います。

あいつは怠け者だと批判される人は、「嫌なことは一切せずふらふらしているような人」であったり、「何にも考えないで適当にすごしているような人」だったり、「人前ではおちゃらけてだるそうにしている人」などですよね。

一見すると確かに怠け者でダメな人だと思われるかもしれません。
しかし、誰も見ていないい所ではどうなのでしょうか。
努力は人にみせしめるためのものではありません。

自分が定めた目標のために行動していくことを指す言葉であると私は解釈します。

どんな人でも明日も生きると言う目標のために何かしら考え、何かしら行動して日々を過ごしているのではないでしょうか。

ホームレスやニートなどを擁護するわけではありませんが、そのような人たちも明日も生きていられるように何かをしているはずです。

これを努力と言わないのであれば、一般的に言われている努力って働けと言うことになりますよね。

ですが働いている人でも、一生懸命会社のために働いている人や生活のために働いている人、何かを犠牲にして働いている人でなければ努力していると言いません。

働いていても、漫然と与えられた仕事をこなすだけの人のことは誰も努力しているとは言いませんよね。

勉強などでも同じです。
寝る間を惜しんで勉強したり、遊ぶ時間を犠牲にして勉強するなど、人よりも苦労して犠牲にしている人のことを努力していると言います。

つまり一般的に言われる努力と言うのは、苦労して何かを犠牲にしている人のことを言うのです。

これが正しいのなら、努力している=苦しんでいる。 努力しろ、頑張れ=苦しめ、もっと犠牲にしろ。 このように言っているようなものなのです。

それに最初にも言いましたが、努力していない人なんていません。

ニートやホームレスもそれなりに苦しんでいるのです。
努力しろとか甘えるなと言うのは簡単ですが、そんな薄っぺらい言葉を並べてもなんの意味もありません。

そうではなく、どのようにして過ごせばいいのかを示さなければなりません。

この場合努力が足りないのではなく、考えや行動が目標に対して向かう方向が違うだけなのです。

北に行きたいのに南に向かっていては、どんなに進もうが北に行くことはできません。

仮に目標地点が定まっているなら南に向かい続けてもいずれ一周して回ってくることができますが、半端じゃない遠回りになってしまい、それではたどり着く前に力尽きてしまうかもしれません。

いくら努力しても北に行こうとしているのに南に向かうのでは足りるわけがありません。

ですから努力が足りないのではなく、向かう方向やエネルギーを向ける方向が違っているだけなのです。

ニートやホームレスが現状を良しとしているわけではないはずです。
社会で行き辛くなったからそうなったのです。
つまり社会での人間関係が辛くなったのです。

これを改善するには努力ではなく、同じような人がいる職場や環境、自分が生きやすい地に向かえばいいのではないでしょうか。

自分にあった地に向かう時に間違ってしまい、一人になるために引きこもったり、合う仲間がいるのがホームレスだったりするのです。

彼らが現状を良しとしていない理由は、今のままでは誰かに迷惑をかけ誰かに文句を言われ続け、楽しいわけがありませんよね。

話がニートやホームレスを更生させる方法のようになってしまいましたが、どんな人でも多少なりとも努力をしていると言うことです。

努力をしていない、頑張っていないのではなく、ただ向かう方向が違っていたり、誰にも見せないようにしていたり、それぞれいろなことがあって努力していないように思っているだけなのです。

そして、決して努力することが偉いのではありません。

努力を自慢したり見せつけることは苦労自慢しているのとほとんど同じです。

誰のために努力しているのか。
それは自分のためですよね。

自分のためにしてきたことを自慢したからといって、一体なんになるのでしょうか。

ただただ自分を認めて欲しいだけなのではないでしょうか。

それを努力したとか言って、まるで素晴らしいことのように言うのは、自己顕示欲でしかありません。

だからこそ私は努力と言う言葉が嫌いなのです。
ただ自分のためにしていることが偉いのでしょうか。
それならみんな偉いですよね。

努力は生きていれば誰でもすることです。
なぜなら生きることこそが努力なのですから。

ここで誤解のないように言っておきますが、私は努力が好きじゃないからと言って、決して努力している人が嫌いなわけではありません。

ただ世の努力が偉いと言う風潮が嫌いなだけです。
努力が偉いと言うことは、努力していないと言うことがダメだと言っているようなものですから。

そもそも努力していない人なんていないのに。

これは日本だけなのかはわかりませんが、苦しんでいる人を助けるのは良いことですが、苦しんでいれば偉いと言う風潮はおかしいのではないかと思います。

それではまるで世界が人間に苦しめと言っているようなものではありませんか。

しかしこれはあくまで私の個人的な見解です。
ただ単純に目標に向かっている人が好きなだけかもしれません。
もしそれが一般的なのだとすれば、努力って素敵なことだなと思います。

好きなことをしたり好きなことに向かっている人は、キラキラしていて勇気を与えてくれますから。

それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

sponsord link



コメント

  1. たいめし より:

    人に遊んでると決め打ちされ怒りと疲労が溜まっていたところ、この記事で少し救われました。ありがとうございます

  2. 名無し より:

    努力って言葉を執拗に嫌がる人はネットに多いけど、この記事見ても彼らは何も変わらない。だって彼らは楽して生きたいから。努力を否定するために努力する人間や努力って言葉を使う人間を非難し、そして自己を正当化するために嘘をつく。そいつらのネットの経験談や体験談のほとんどは自己を正当化して他人を悪く言ってる。多くの悪人のために少ない良い人たちが排斥されていく。

    • ふむ より:

      努力という言葉が大好きな人もネットに多いです。この記事を見ても彼らはなにも変わらない。だって彼らは成功をすべて自己本位によるものだと自惚れているから。努力を肯定するために努力してない人間や努力ではなく才能だという人間を批難し、そして自己を正当化するために嘘をつく。そいつらのネットの経験談や体験談のほとんどは自己を正当化して他人を悪く言ってる。多くの悪人のために少ない良い人たちが排斥されていく。

      翻すとこんな感じでしょうか。個々の人生の経験のなかで信念が固く形成され、決して交わらない予感がしますがね?
      最低限意見の異なるものをそいつら呼ばわりする愚を犯しながら主張することは避けたいものです。

  3. 鈴木 より:

    セーフティーネットの甘さの結果であるホームレス状態の人を馬鹿にしているような気がしてちょっと怖かったですが、日本でいう努力が犠牲を意味していると説明していただけたのは良かったです。すごくしっくりきました。

    もう少しいうと、自分に犠牲をさせている人はやりたくないのにしているから、犠牲をしていない人を許せなくて腹立てるんですよね。
    ニートのひとはそれで暮らせているのだから問題ないのに、努力していないから許せないとやっかむ。しかしやっかみの心を隠して正論で攻撃するという。
    その証拠に、「ニート状態やホームレス状態は辛いことでしょう、辛い状況を一緒に抜け出しましょう!」という働きかけはせず、悪と見なし更正させよという発想になるのですから。

    頭がスッキリしました。ありがとうございました。

  4. レニ より:

    >誰のために努力しているのか。
    それは自分のためですよね。

    自分のためにしてきたことを自慢したからといって、一体なんになるのでしょうか。

    私が言いたい事を代弁して頂いた気持ちです。

  5. louis より:

    こんばんは努力しない人です
    現在 中学生をやってます
    僕は、小さい頃から頭の回転が良かったり、運動神経が良かったりと勉強も運動も何でも出来ました
    学校のテストでは毎回学年10位をうろつき、スポーツはバスケもテニスもなんでもできました。部活は野球部です
    部活内でも、1位を争う実力を持ってました
    が、僕は皆より練習量が少なかったり、取り組み方が 努力 的なものでなかったため評価は常に低かったです
    自分より下手な周りが褒められる度に
    努力が全てなのか?と思っていました
    ですが
    これを見て、自分が100%間違っているわけではないと安心しました

    • ふぃりをふぃりを(旧S.N) より:

      世間の言う努力って、苦しむことを言ってるような節がありますから周りの人達からすればlouisさんを見て楽しているように思え面白くないのかもしれませんね。

      やはり大多数の人間は頑張ってもできなかったりする人の方が多いので、少しやればできる人を認めてしまうと自分が劣っていることを認めざるを得なくなるので認められないのかもしれません。

      今学生さんとのことですが、今後も高校・大学・社会人と同じような思いをされるかと思います。

      しかし、できない人をフォローできるほどの余裕を持って接していればきっと認められると思いますよ。

  6. ゆうこ より:

    その通りですよね。

    私はベストボディのありささんが大した気になって、自分の書き方が悪いのにいちいち腹立つのがおかしい。

    • ふぃりをふぃりを(旧S.N) より:

      ゆうこさんこんばんは。

      努力自体は素晴らしいことなのかもしれませんが、努力を押し付けられることや、努力を強要されることは嫌ですね(;´Д`)

タイトルとURLをコピーしました