「社会の矛盾」人は楽をするために苦労する

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人生
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社会には様々な矛盾が存在しますが、その中でも特に思うのが「楽をするために苦労する」と言う矛盾です。

何が楽で何が苦労なのかは人により違いはあるものの、多くの人はこの矛盾に苦しみます。

例えば老後楽するために若い時に苦労すると言うこと。

若いときは体力もあってバイタリティに溢れているから苦労してでも働いて、年を取ってからは体力が落ちしんどくなるからと言います。

確かに一見その通りではあるのですが、何も苦労したからと言って老後に楽することができるわけではありません。

子どものころから苦労して勉強に励んで良い学校へ進学し、いい大学に入っていい企業に就職する。

そして良い企業で苦労して頑張ることで昇進し、良い給料を得ることができる。

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文字に起こせば非常に単純な流れのように思えますが、実際はどこかでつまづく可能性はあり、仮にとんとん拍子で良い企業に就職して昇進したとしてもリストラに合うリスクや会社自体が倒産する可能性がないわけではありません。

苦労して努力すれば報われるわけではないのです。

しかしだからと言って楽な方へ楽な方へと逃げていてもいずれは行き詰まり、後で苦労することもあり得えます。

どちらもリスクはあって、どちらが良い悪いと言うものではないはずです。

人間は未来のことを予想することはできても、予知することはできません。

つまり、今を犠牲にして苦労しても未来に楽できるかどうかなんてただの予測にすぎないのです。

仮に明日明後日などすぐ先の未来なら予想が的中する可能性は高くなりますが、1年後10年後と長くなるほど精度は下がっていきます。

若い時に苦労すれば老後に楽できるというのは限りなく制度の低い予想であり、苦労したものほど大事に思う人の心理から希望的観測としてそう思っているにすぎません。

ですから本当は若い時の苦労なんてしてもしなくても老後に楽できるかどうかなんて誰にも分らないものだと言えます。

もし本当に楽したいのなら今、もしくは明日明後日、1~2週間後ぐらいの短い期間で予測するべきなのではないでしょうか。

今を犠牲にするのに10年後20年後の未来のためならあまりにもギャンブルです。

しかしすぐ先の未来であれば予想的中率は格段に上がります。

そうやって明日楽するために明後日楽するためにと苦労するのなら未来が楽になる可能性は高くなると言えます。

でも本当にそれは楽なのでしょうか?

明日楽するためとか明後日楽するためと言って、今を犠牲にすることは明日も明後日も同じことをするのではないでしょうか。

明日は明日のため、明後日は明々後日のため。
そうやって人は未来の楽のために苦労し続けようとします。

確かに今楽ばかりするのはただの怠慢にすぎません。

一方で今苦労し続けることはただの拷問でしかありません。

一体どちらが良いのでしょう。

あなたは今怠け者と罵られバカにされて楽することがいいのか、それとも明日のため明後日のためと常に苦労し続けいつ訪れるともわからない楽と言う幻想にすがることがいいのか。

どちらを選びますか?

社会にはこういった矛盾や苦悩がたくさんあります。

どちらを選ぶのも選ばないのも自分次第。
そして何も選ばずただ流されると言う選択をすることもまた自分次第なのです。

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