生活のために働いているはずなのに生活を犠牲にする矛盾

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コラム
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人が働くのにはいくつか理由がありますが、その理由の中で最も大きいのが「生活をするため」と言う理由があると思います。

基本的に仕事をしなければお金がもらえません。

そのお金がなければ現代では生活することが難しく、生活をするためにはお金が必要となるのです。

つまり、「生活⇒お金⇒仕事」と生活と言う目的があるために働いていると言う図式が働く前提としてあるのですね。

しかし、この図式が崩れている人がいます。

もともと仕事は生活をするための稼ぎであるはずだったのに、いつの間にか生活を犠牲にして仕事をするようになっているのです。

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例えばブラック企業の社員。

彼らも例外なく生きるために仕事をしているはずですが、いつしか生活に支障が出ているのにもかかわらず仕事をし続けてしまっています。

上記の図式に当てはめると、「生活⇒お金⇒仕事」だったのが「仕事⇒お金⇒生活」へと仕事のためにお金を使って生きていると言うような図式になってしまっているのです。

生きるための仕事から、仕事のための生活へと変わってしまっているのです。

わかりやすいようにブラック企業を例としていますが、これは一般企業でもなんにでも言える事です。

本来生きるための仕事が今や仕事のために生きているような人が多くなっているように私は思います。

これが仮に世界に影響を与えるような人ならまだ理解もできますが、ただの1人の人間がそこまで大それたことがあるでしょうか。

スティーブジョブズが亡くなってもアップル社は存続していますし、マイクロソフトだってビルゲイツがほとんど関わってなくても上手くやって行けてます。

つまり私が言いたいのは、仕事のために生きていてもその仕事にとって人間と言うのは代わりがきくものだってこと。

でもあなたの生活にあなたの代わりなんていないのです。

あなたの親も兄妹も代わりになる者などいないのです。

少し酷ではありますが、仕事にとってあなたは壊れたら新しく付け替えればいい使い捨てのパーツにすぎません。

だからと言って仕事が大事ではないと言うわけではありませんが、どちらが本当に大切で何のために働いているのか改めて考える必要があるのではないでしょうか。

私たちは生きるために働くのであって、働くために生きているわけではないはずです。

こんなことわかっていてもやむを得ずそうせざるを得ない人もいるとは思いますが、もしそうでないのなら冷静に判断してみてはいかがでしょうか。

それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

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