辛いという気持ちはどこから来ているのか

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人生
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生きていれば「辛い」と思ったことはみなそれぞれあると思います。

辛い気持ちの大きさは人それぞれで、私にとって辛いことでもみなさんにとってはなんてことないことだったり、逆にみなさんにとって辛いことでも私にとっては嬉しいことである場合もあります。

ですから人は、辛いと思ったとしても人に辛いと言う気持ちを話すことを大人になるにつれしなくなっていくもの。

しかし、大人になったからと言って辛い気持ちがなくなるわけではありません。

辛い気持ちはなくならないのに、辛いと言うことはできなくなってしまうのです。

本当は子どもの頃のように辛いときに辛いと言えればいいのかもしれませんが、実際辛いと言ったところで状況が変わるわけではありませんね。

ではどうすれば辛い気持ちを乗り越えて行けるのでしょうか?

もしかすると辛い気持ちがどこからくるのかを知ることで対処することができるのかもしれません。

今回は辛いという気持ちがどこからくるのかを知る方法をお話したいと思いますので、辛い気持ちを対処する参考にしてみていただければと思います。

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辛い気持ちはどこからくるのか

単刀直入に言うと、辛いという気持ちは自分と他人を比べることから生じています。

例えば、身長が低いことがコンプレックスな人がいますよね。

他人からすれば身長が低いことは必ずしも悪いことではありませんが、本人にとってはとても辛い気持ちになるものです。

誰かにバカにされたわけでもなく、何か不都合があったわけでもなかったとしてもコンプレックスはコンプレックス。

でも身長が低いと言うコンプレックスは、自分だけでは持ちえないものです。

なぜなら、身長が低いか高いかは誰かと比べなければわからないからです。

つまり、身長が低いことで辛い気持ちになるのは自分の身長と誰かの身長を比べて辛い気持ちになっているのだと言えます。

これは身長だけの話ではありません。
勉強にしてもスポーツにしてもルックスにしても。

すべてのことは誰かと比べなければ上でも下でもありません。

勉強で辛い気持ちになるのは自分と他人を比べて成績が悪いからなのか、それとも自分の理解力と他人の理解力を比べてのことなのか。

一口に勉強と言ってもいろんな辛さがあると思いますが、そのどれもが誰か他人と比べていることが原因なのではないでしょうか。

人と比べると言うことは努力のキッカケになり、自分がさらに高みに上るエネルギーともなるため決して悪いことではありません。

ですが、周りと比べすぎると必ず自分よりも上を見つけることとなり、それが返って壁になってしまうこともあるのです。

その壁を乗り越えられるかどうかはわかりませんが、壁を乗り越えようとするときの気持ちこそが「辛い」と言う気持ちなのだと私は考えます。

もちろんそうじゃない人もいるとは思います。

壁が大きければ大きいほど燃える人もいますから。

ただそのような人でも壁を乗り越えられなかったときには辛い気持ちになりますね。

それは乗り越えられなかったからであり、自分が他人を越えられなかったから来る気持ちです。

極論的に言えば、辛いという気持ちは自分と他人を比較しなければ生まれない感情なのです。

もしあなたが今辛い気持ちを抱いているなら考えてみてください。

その辛い気持ちの原因は、どうして比べてしまっているのでしょうか?

また、どうして諦めきれないのでしょうか?

あなたの本当の気持ちは一体なんなんでしょうか?

もしかしたらそれは、他人と比べなくてもいいことかもしれません。

本当はただ手放せばいいことなのかもしれません。

今一度本当の気持ちを考えてみてみると、案外その道じゃなくても別のルートがいくつもあることもありますので、少し引いて考えてみてもいいのかもしれませんね。

もしこれに何かを感じたのなら試してみてはいかがでしょうか。

それではまた。

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コメント

  1. 太田益次 より:

    いつも同じ時間同じ場所で顔合わせるようになった野良猫がいました。彼は人間でいえば中年、後ろ足が昔、車にひかれたのかミイラ状態。.
    そんな彼でも別に気落ちしたそぶりも見せず、精一杯「人生」を活き活き生きていました。
    普段は手の触れるところまで近寄らなかったし、エサも撥ね付けていたのですが、老衰で死ぬ直前、一度だけ僕の膝の上に載って顔こすり続けたまま息ひきとりました。
    そこから教わったことは、あなたの言われたことそのまんま。「どんなに抗ったところで自分の置かれた現実の中で精いっぱい生きて楽しむこと」でした。