アドラー心理学の「よく褒める人は他人を見下している」は大げさすぎる

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哲学
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私はあまりアドラー心理学は詳しくありませんが、1年前ぐらいからかビジネス書などでよくその名前を目にする機会が増えました。

恐らくみなさんの中にもアドラー心理学の本を読んだことがある、または名前ぐらいは知ってる、と言う人は多くいるのではないでしょうか。

そのアドラー心理学のなかに、少し誤解を招くような話があります。

タイトルにあるように、「よく褒める人は、他人を低く見ている」と言う部分についてです。

これは子どもなどに「偉いね」「よくできたね」などと褒めることは、逆に言えば褒められるからそうするようになると言うものです。

例えば、褒められたいからゴミ拾いをする。
褒められたいから人に優しくする。

など順番がおかしなことになっているのではないかと言うのがこの説です。

確かに、ゴミを拾うのも、人に優しくするのも褒められることではありますが、そう言った親切な行為をしたから人から褒められるのであり、あくまで結果的にそうなっているだけです。

これをこじらせてしまうと、自分の常識や固定観念などの物差しで測っておせっかいをやいてしまうようになるかもしれません。

ときにはそれで褒められなかったとしたら不満を覚えることにつながるかもしれません。

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それではいけないですね。
さらに、アドラーは人を褒めると言うこと自体も人を見下しているからだと主張します。

確かに褒めると言う行為は上下関係によくみられる行為です。
親子や上司と部下、先輩後輩など基本的には上下関係でのやり取りです。

ですが、これだと少々雑です。
この説明だけでは誤解があると思いますので次に褒めることと称えることの違いを説明していきます。

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褒めるのは見下す称えるのはねぎらう

正直面倒くさい言葉のあやと言うやつなのですが、褒めることは子どもや部下など目下の相手に対して、称えるのは同じ褒めることではありますが、素晴らしいことだと伝えるための言葉です。

つまり敬語のようなもので、褒めるは、すごいね、称えるは、すごいですね、と言ったように使い分けることができます。

実際に文章ではなく、会話中にその違いについて注意深く意識している人は恐らくほとんどいないのではないでしょうか。

つまりアドラー心理学で言う「他人をよく褒める人は他人を低く見ている」と言うのはお前は何様だ、と言うようにあの人のここはすごいと思う、この人のここは尊敬できる、などばかり言っている人は他人を見下していると言うことです。

傍から見れば、褒めるも称えるも何が違うかわかりませんが、その人の態度や言動に表れているのですぐにわかると思います。

褒めることが見下していることにつながるのはわかりましたが、では称えることは悪いことなのかはどうなのでしょうか。

子どもが良い事をしたとき褒めないのが正解なのか

私が思うには、称えることに関してはむしろ良いことなのではないかと考えます。

例えば上記でも言ったように、子どもがゴミを拾ったり人に優しくしたとき何も言わないのが正解ですか?

それが正解だとはどうにも思えません。

大人でも褒められたり良い反応がないとやる気が出ませんし、褒められるためにしているわけでなくとも何かしらのリアクションがないとなかなかモチベーションは持たないのではないでしょうか。

何も反応のない鐘をついて、何があると言うのでしょうか。
それでは一部の本当にその行為が好きな人以外はみんな辞めてしまいます。

すると人は何もしなくなるのではないでしょうか。

そのときに必要となるのがリアクションです。
会話をしているときは相槌勉強にはテストの点数スポーツなら記録を更新するなど何か報酬があるから人はモチベーションを維持することができ、続けられると言えるのではないでしょうか。

つまり褒めることはダメでも、称えるのは良いことなのではないかと私は考えます。

そして称えることと言うのは、相手を認めると言うことなのではないでしょうか。

あなたがもし何かの資格試験に合格したとすれば、おめでとう、よかったね、すごいね、などと言うのは決して見下している人ばかりではありません。むしろ素直にあなたの努力の結果を分かち合い、それを認めているから人はそう言うのではないでしょうか。

アドラーが言うように、人を見下している人が他人を褒めるのであれば、「すごいね、けど私もすでに合格しているんだけどね」「よかったね、まあそれぐらい誰でもできるけど」など褒め言葉の後に付け加え、また実際には言わなくてもほめ言葉の後に何か言いたげであるなど、雰囲気で伝わるはずです。

最後に

アドラーを全否定するわけではありませんが、少し言葉のあやがあり、極端な意見過ぎて意見したくなったので言わせてもらいました。確かにアドラーが言っていることもわかります。

私も人をよく褒めるようにしていますが、心の奥では自分が上と思っているんじゃないかと問われると、確かにそのような側面があると思います。

しかし、見下している側面があるからと言って、100ある内の100全部見下しているわけではありません。

人は白か黒かと極端に物を考えがちな所があるのですが、全体的に見て、白優勢、黒優勢はあっても、全部真っ黒、真っ白と言う人は恐らく存在しません。

これを踏まえると、確かに見下している側面があるけど、かなり見下しているか、少し見下しているかの違いがあり、さらに相手を認めている側面が強いのか、相手を認めない側面が強いのかで全然違いますよね。

今回の「よく褒める人は他人を低く見ている」と言うのは、偏った見方で白か黒か一方的で極端な意見だと言わざるを得ません。

これが言いたいために長々と語ってしまいましたが、今回のお話はこれで以上です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回お楽しみに。

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