感情や感覚は生もの

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人生
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これはあくまで自論にすぎないのですが、感情や感覚って生ものだなと思います。

例えば怒りや悲しみを感じても、その瞬間は新鮮でとても大きなものですが、時間が経つと次第に薄れ小さくしぼんでいきますよね。

感情は新鮮さを保てる期間が長くはありません。

怒りや悲しみ以外でも、喜びや楽しさもその一瞬はとても最高の気分を味わえますが、ずっと同じこと気分ではいられませんし、ずっと同じ事では喜べません。

そして感情だけではなく、感覚も同じように生ものです。

例えば旅行に行ったときの思い出。
その時はとても楽しく一生の思い出だと思ったとしても、月日が経つにつれだんだんと楽しかった感覚は薄れていきます。

覚えていないことなんかそんな大したことじゃなかっただけだと思う方もいるかもしれませんが、その大したこととは結局直近の思い出のことなのではないでしょうか。

どうあがいても人の感情や感覚はこのようにいずれ薄れていき、次第にしぼんでいくものです。

しかし、それらを新鮮に保つ方法があります。

その方法は、ずっとその事ばかりを考え続けることです。

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例えばムカつく相手がいるとします。

通常ならいくらムカついても他のことを考えている内に忘れて感情はしぼんでいくものですが、ずっとムカついたことやムカつく人のことを頭に浮かべ、考え続ければ怒りを持続させることはできます。

悲しみも同じでずっと悲しいことを考え続ければ新鮮さを保つ事ができます。

これは楽しさも喜びも同じで、思い出などもずっと考え続ければその時の気持ちを保ち続けることができます。

とはいえ100%ではありません。

どんなに思い続けても寝ているときや仕事中などはどうしても考え続けることはできませんよね?

そうして他のことを考えている内に徐々に気持ちが薄れてしまうのです。

感情や感覚と言う生ものは、常に思考することで栄養を与えたり、腐らないように冷やしたりしていなければあっという間にほんの少ししか残らなくなってしまうのです。

ですから私は思い出をつくると言う言葉が嫌いです。

思い出をつくることは良いことなのかもしれませんが、思い出が多すぎると確実にいくつかの思い出はどこかに思い出されることもなく消えてしまいます。

また、人の記憶は非常に曖昧でしょうもないものです。

旅行に行ったときどんなことがあったのか、どのメンバーで行ったのか、誰がどうしたのかなど細かいことを忘れ、大雑把にしか覚えていません。

時に記憶は自分の都合のいい様に記憶していて、ありもしない事実を記憶として残している事もあるのです。

私も何度かそれを経験したことがありました。

本当は私が失敗したことだったのに、誰かの記憶では別の人が失敗して迷惑だった記憶に変わっていたリ、私はそんなつもりはなかったのに、誰かの記憶では私が気を利かせたことになっていたりと実に曖昧なものです。

そんな生ものなのですから保存はしっかりしておかなければなりません。

逆に覚えていたくもない感情ならさっさと捨てて土に返した方が良いですよね。

ですから思い出を残したいなら考え続け、残したくないなら考えないことが大事なのです。

たまに辛いとか悲しいと言いながら、その事実をずっと見続けている人がいます。

失恋したとか言って、失恋したことをいつまでも見続けている人。

そうやって失恋したことに執着し続ければし続けるほど新鮮なまま記憶に残ることになるのです。

本当に辛いならそんなもの捨ててしまえばいいのです。

見ないふりでもいいから見ないようにしたらいいのです。

そうすることでいつの間にか人の記憶から抜け落ちていき、どんどんしぼんで小さくなっていくのですから。

悩みを持つ人も同じで、悩みを見続けているといつまで経ってもその悩みから解放されることはありませんので見ないようにすることが大事なのではないかと私は思います。

まあ見ないようにするのが難しいんですけどね。

それではまた。

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