敷居が高いとは、不義理や面目が立たないことがあり、その家に行きにくいことを意味する慣用句。
時代の変化と共に言葉の意味も変わっていくことがありますが、「敷居が高い」という言葉も今では別の意味として使われることが多いです。
現代の「敷居が高い」は”身の丈に合っていない”に近い
例えば高級なブランドや難しい本など、自分の力を超えるなにかに対して敷居が高いと言います。
高級品は庶民にとって背伸びをする必要があるものですし、勉強や運動でも難易度が高いものはある程度基礎が必要です。
「今の自分には難しい」
そういう気持ちを表す言葉として「敷居が高い」と一般的に使われているように思います。
”心理的ハードルの高さ”に変わってきてる?
他にも「一見さんお断り」のようなことに対しても「敷居が高い」と言います。
一見さんお断りには店によって理由は様々かと思いますが、特にイメージの強い京都の祇園では、ツケ払いが基本になっているため一見さんをお断りしている事情があるのだそう。
ただ、そういう事情を知らない側からすると選別されているように感じるもの。
そういう意味では”身の丈に合わない”という現代の「敷居が高い」に当てはまるのかなと思います。
敷居は低い方がいいのか
初心者やライト層は敷居が低い方がいいかもしれない。
例えばシリーズものの映画や小説で、1から見なくても楽しめるような作品の方が見やすいです。
けど、世界観の設定や人物のつながりまで1と3でなくしてしまうのは底が浅くなりかねません。
物語には元ネタになってるものがある
物語は大抵参考にしているものがあります。
映画でもマンガでも、聖書や神話にヒントを得て作られていたり、その設定をそのままにオリジナルの物語にする二次創作的な作られ方をしている場合もあったり。
そういうのって、知らなくても楽しめるけど知ってるとより深く楽しむことができるんですよね。
なので敷居を下げればいいってものでもないと思います。
罪悪感から不快感に変化
元々は不義理があり顔を合わせづらい気持ちだった敷居の高さ。
それが今では身の丈に合わない高さ、心理的ハードルの高さに変わり。
段々と罪悪感のような嫌な気持ちから、めんどくさいとか、相手にされていないことへの不快感に変わってきているのではないでしょうか。
本来の意味から変わるのはあまり良いこととは言えないのかもしれないですが、日本でも古文と現代文では全然違うので時代と共に変化していくものなのかもしれないですね(´・ω・`)
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