世の中良い人もいれば悪い人もいて、謙虚な人もいれば偉そうに指図してくる人もいますよね?
やたら上から目線で自分も大したことないのに人のことをああだこうだ言う人。
私はこのような偉そうな人が嫌いで、どうしてこの人はこんなに偉ぶっているのかとムカついたりすることもありました。
しかし、人に指図されるのが嫌いな人にはある特徴があるんですね。
今回はそんな嫌な気持ちになる心理についてお話したいと思います。
嫌悪感の正体は抑圧された感情
人が人に対して持つ嫌悪感は抑圧された感情だと心理学では言われています。
ユング心理学で「シャドウ」と言われる心理現象のことですが、シャドウとは自分の中にある抑圧された感情で、自分の中にある感情を見ないように蓋をしたり、ダメだと押さえつけてなくそうとしている感情のことを言います。
シャドウとは、何かしらの形で自分から切り離した要素(を持った人)のことです。
自分から切り離した要素ということは、そもそも自分が持っている要素なのに、わざわざ切り離そうと試みるくらいですから、あなたにとっては忌み嫌っているものといえます。例えば…
家族に怒りっぽい人がいて、「怒り」を嫌ったとしたら、自分の中から「怒り」を排除しようとするでしょう。
過去に「こんなことも出来ないの?」と言われて悔しい思いをしたのであれば、「出来ない自分」を封印して、すごく頑張ってスーパーマン(ウーマン)になるでしょう。
躾の時期に、「甘えること」を嫌って、甘えない私になった人もいるでしょう。
引用:すぐに役立つ!心理講座 シャドウの心理学~「ないもの」から「あるもの」へと認めよう~
人の心理は複雑なので嫌悪感=シャドウとかならずしも一致するわけではありませんが、偉そうにする人に対する嫌悪感の正体がシャドウである場合もあります。
このような状態を自己投影するなどと言います。
しかし、シャドウだけが嫌悪感の正体とは言い切れません。
本当は自分も偉ぶりたい?
では、偉そうな人に対して嫌悪感を持つということは、自分は本当は他人に対して偉ぶりたいということなのでしょうか?
もしかしたらそういうところもあるのかもしれません。
しかし、それだけが要因で嫌悪感を抱いているわけではない場合もあるのかもしれません。
環境や周りの影響から嫌悪感を持っている場合もあるのではないでしょうか。
そういった場合はシャドウとはまた違った意味での抑圧があるのかもしれません。
他者からの抑圧
特に幼少期に受けたことは大人になってからも大きく影響するのではないかと思います。
親など身内だけではなく、先生とか友達などから受ける影響もあるのかもしれませんね。
でも抑圧されることへの嫌悪感ってなんなのでしょうか?
最近はマウンティングなどと言うこともありますが、なんでマウントされると嫌だと感じるのでしょう。
その答えのひとつとして考えられるのは「優位性」と「生きること」に関係しているのかなと思います。
優位性と生活の危機
私たちの生活は平和で暴力的なことが少ないですが、実はアプローチの仕方が変わっただけで本質としてはあまり変わっていないこともあります。
会社や学校などで優位性を取ろうと思ったときに、太古の時代では暴力的な力こそパワーな感じだったことが、近代だとより平和的な争い方に変わったと思うんですね。
偉そうにする態度も暴力から変化した優位性で、言ってしまえば「自分の方が上だ」というアピールだということなんですね。
一方で、嫌悪感とは相手の方が優位だと感じることなのかもしれません。
優位性とは脅威でもあるのではないでしょうか。
人は生きることが大前提であって、どう生きるのかが人によって違ったりするポイントだと思うのですが、相手に優位性を取られるということは自分の生活への脅威でもあって、生活の不安につながるということでもあるのではないかと思います。
生活を脅かす存在が嫌悪感の正体
学校という場所での優位性は、その輪のなかでの生活を思い通りにすることができ、学校で優位性を取られることは思い通りに生活が送れなくなることでもあります。
仕事での優位性はもっとわかりやすくて、仕事はお金に関係するのでよりダイレクトに生活に直結します。
優位性が取れれば生活は安定し、満足度が高い状態を目指しやすい反面、優位性が取れなければ不安定で不満を感じやすくなると言えるのではないかと思います。
なぜ人は指図されるのを嫌うのか
改めて人に指図されるのが嫌いな人ってどんな人なんだろうと考えてみたとき、プライドが高い人や完璧主義者、抑圧された感情がある人。
自分の中にも優位性を取りたい気持ちがあるけどそれを我慢したり抑えている人。
マウンティングされ抑圧されてきた人。
他者から偉そうにされたり指図されたりすることを嫌うのにはいろんな理由があると思いますが、抑圧というところがポイントとなっているのかなと思います。
逆になんで人に偉そうにしたがるのか
偉そうにされるのが嫌な理由はさておき、なんでマウントしてこようとしてくるのでしょうか。
これも優位性が関わっているのだと思いますが、いくつかのタイプがあるのかなと思います。
- 相手を下げて自分の優位性を保ち生活を安定させる
- 自尊心を高めるため他者を下げる
- 過去の自分に投影しているタイプ
いずれの場合も自分を相対的に高めるために、他者を下げマウンティングしようとしかけてくるのではないかと思います。
相手を下げて自分の優勢を確保
優位性を取るには2つの方法があります。
- 努力して結果を出す方法
- ライバルを下げて相対的に上げる方法
努力して自分を高めた結果が優位になることが多いと思いますが、中には自分を高める努力ではなく人の足を引っ張るなどして相対的に高める手段を選ぶ人もいます。
どちらにしても優位になるわけですから結果的に優位になれるのなら、つらく苦しい努力ではなく楽に苦労せずできる方法を選ぶのかもしれません。
とはいえマウントを取るのも自分にまったく実力がなかったり、小物すぎるとマウントが取れない場合や逆にマウントし返されることもあるので、相手を見て選んできたり自分よりも弱い相手を選んで仕掛けてくることが多いのではないかと思います。
自尊心を高めるために他人を下げる
最近よくネットでみかける「正義マン」や「自粛警察」といったタイプの人はこれに当てはまるのかなと思います。
自分が正しいと思いたい、確信を得るために他者を乏して優位性をとろうとする心理があるのではないでしょうか。
正義などの形のないものは、いくら自分が信じて疑わないことだったとしても、常に不安感があります。
太鼓判が欲しいという気持ちから、他人への攻撃に変わってしまうこともあるのかもしれないですね。
過去の自分に投影
自分が通ってきた道で詰まっている人を見て、自分も苦労したなぁと優しく教えようとする人と、こんなこともわからないなんてダサいとバカにする人と分かれます。
過去に自分が乗り越えたときに「誰かに助けてもらったけど感謝がない」もしくは「多少の苦労はあったけど悩み苦しんだりした記憶が薄い」など、そういった理由から下にみる場合もあるのかもしれません。
また、自分自身がそうやってバカにされたりマウンティングされてきた経験があって、過去にできなかった仕返しを全く関係ない人にすることで疑似的に仕返しをしているような感覚もあるのではないかと思います。
安心したい気持ちは誰しもある
安心感を得たいと考えることは自然なことだと思います。
しかし、安心感を得るための手段は良く考えて選ぶ必要がありますし、そもそもどうして安心感を得たいと思うのかもよく考える必要があるのではないかと思います。
- 自分のポジションを盤石なものとする安心感
- 自分が正しいと確信するための安心感
どちらも本当はただ平穏にいたいという気持ちからきているのかもしれません。
安心するためにマウントする
マウンティングなど偉ぶる人も、本質としてはただ安心したいだけのために人を傷つけたり、下に落としてやろうとしている節があって、それが嫌悪感につながっているのではないかと思います。
シャドウだ優位性だなどと言ってきましたが、極端な話安心するためにマウントをしている。
そう思うと怒りがわいてくる人もいるでしょうし、逆に哀れに思えてなんだか悲しくなってくる方もいるかもしれませんね。
どちらにしても私たちもまた別の形で優位性を感じることができるのなら、それは私たちにとっても安心感であると言えるのではないでしょうか。
マウントをする人を許すにしても許さないにしても、自分が相手よりも優位であると感じることが精神的な安定と、ひいては生活の安定へとつながるのかもしれません。
どうすれば安心感を得られるのか。
それがわかれば偉そうにしてくる人への対応だけでなく、生活の安定や心のゆとりへとつながっていくのではないかと思います。
コメント
偉そうにすら人の、言い方が気に入りません。上から目線で言うのも言い方によっては全く堪に触らない人もいれば、すごく気にくわない人もいます。
とりあえず他人が言うことを聞くのですが、自分の判断が正しかったパターンが意外とあって、それで億単位の利益を逃してます。
自分を守りたいから、他人に指図されたくないのです。
また来てしまったようです。ブログ名変わりましたか?
前回の億単位は言い過ぎました。1億円弱が正解です。
どうしても人の言うこと聞いてしまうので、何か嫌になりますね。
ふと思ったんですけど、事業すら成功させられない人が投資なんかできるんですかね?
金銭的リスクを負わなくても、会社をうまく行かせて売ったほうが早くお金になる気がしています。
人を雇うと意見を聞いてしまうので、関わる人すべて委託にしましたよ。