人が傷つくのは心の中で期待しているからかもしれない

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人生
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あなたは自分が傷つくとき、なんで傷ついたのかご存知ですか?
人から批判されたり、心無い一言に傷ついたり、傷つくと言っても様々なケースがありますよね。

どんなに強い人でも心が傷つくことは必ずあります。
メンタルが弱い人は特に傷つくことも多くなってしまうことでしょう。

このときほとんどの人は自分の心を強くしなきゃとか、弱い心を直さなきゃと考えますが、確かに心を強くする事もとても大事なことです。しかし、いくら強くなっても傷つくときは傷ついてしまうのです。

ではどうすれば傷つくことが少なくて済むのでしょうか。
それを知るにはあなたがなぜ傷ついたのかを考える必要があります。

タイトルにあるように、人が傷つくときのほとんどが実は「期待」が原因なのかもしれません。

今回は期待がなぜ心を傷つけることにつながるのかをお話したいと思います。

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期待する気持ちが心を傷つける

例えば、バカにされたとき傷つきますよね。
一見期待とは何の関係もないので、バカにした人が原因で傷ついたのだと思いがちですが、バカにした人に対してこの人は自分をバカにしないと期待していた側面がありませんか?

普段から人のことをバカにしている人からバカにされても、それほど傷つきませんよね。
多少は傷はつくにしても、普段とっても仲がいい人にバカにされたときと比べ、同じ言葉で馬鹿にされたとしても前者の方が傷つかないのではないでしょうか。

よくよく考えてみると、それは自分が他人にこの人は自分をバカにしないだろうと期待していたからなのではないでしょうか。

さらに、これは人だけにとどまりません。
宝くじを買ったとして、当たらなかったら傷つきますか?

さすがにそれぐらいで傷つかないよと言う人が多いですよね。

しかし、例えば「〇〇と言う場所で〇時に〇〇さんと言う販売員から買うと高確率で当たる」と言ううわさがあって、さらに雨の日で〇〇さんの声が一瞬変わったらより期待できると言われていて、そのときたまたま購入できたとします。

それを信じている人からすればワクワクして宝くじが当たることに期待しますよね。

それなのに1つも当たらず、30000円分も購入したのに10000円すらも当たらなかった。
凄くショックを受けませんか?

このように人だけではなく、物や状況にも人は「期待」します。
スマホゲームでガチャをするとき、ドキドキしますよね。
課金額が大きければ大きいほど比例して期待も大きくなっていきます。

その期待を裏切られたとき、人はそれに比例して傷つくのではないでしょうか。

傷つかずに済むには勝手な思い込みをなくすこと

ここまで読んで下さった方は、じゃあ期待しなければ傷つかずに済むってこと?

と感じることだと思います。
確かに期待しなければ済む話です。
でも期待しないと言うことは同時に喜びも失うことにつながってしまいます。

これじゃあ傷つかない代わりに楽しくもないのです。

なので私は単に期待するなとは助言いたしません。
私がお話したいのは、期待しないことではなく、こうすればこうなると言う勝手な思い込みをなくすことです。

例えば、先ほどの宝くじの例ですが、宝くじは所詮宝くじにすぎません。
どこの売り場が当たりやすいとか、どの人から買うといいとか、全てただの思い込みです。

なぜなら、宝くじは番号を割り振られた紙にすぎず、くじ引きのようにたくさんある中から引いていく、確率のお遊びです。

パチンコやスロットなどのギャンブルもそうですが、機械が相手である限り、どちらも当たるのは確率で決まっているのです。

どこで買おうと誰から買おうと確率が変わるわけではありませんよね。
10個中1個があたりのくじ引きを、あなたと私どちらから引いた方が当たりやすいかと言っているようなものなのです。

こう言ったことを私は勝手な思い込みだと言っています。

そしてこの思い込みは逆に言えば、自分が信じる売り場や人からでなければ当たりにくいと言っているようなもので、もしその理論が正いのなら、それ以外の場所などで買うことは、自ら当たる確率を減らしていると言うことになります。

でも実際はどこの売り場でも変わりません。
敢えて言うなら、大きな売り場にはたくさんの宝くじが入荷されますよね。
人工が多い都市部ならより多く入荷しますね。

売っている本数が多ければ多いほど、その中に当たりが入っている可能性が高くなるのは必然です。

実はそれが宝くじのあたりが出やすい売り場の秘密です。

話がそれてしまいましたが、このように現実を越えた期待をすることが必要以上に傷つける原因となっているかもしれません。

スピリチュアルとか不思議なものは私も好きです。
しかし、そこに接合性がなければ単なるオカルトにすぎなくなってしまいます。

そんなオカルトなものに過度に期待することは、傷つきやすくなってしまうのではないでしょうか。

もしなたが傷ついたなら、そのときなぜ傷ついたのか、本当はただ期待していただけなのではないか少し考えてみてはいかがでしょうか。

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