人は自分を肯定するために他人を批判する

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哲学
この記事は約4分で読めます。

最初に誤解のない様に言っておきますが、何かを擁護するため、自分を肯定するためにこのようなことを言っているわけではありません。

もしあなたが何かを批判したとしたら、1度冷静になってみて欲しい。
あなたが批判しているその何か、それを批判することで自分が正しいと思っていることではありませんか?

最近で言えばベッキーの不倫報道に対し、執拗な批判を目にしますよね。
ベッキーがテレビに出るだけでクレームの電話が殺到し、ネットで叩かれSNSをはじめ数多くのネット記事がアップされています。

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批判とは自分が正しいことを主張することである

当ブログでもベッキーの報道に関する記事を投稿しました。
不倫は確かに悪いことです。

不倫に関する記事もいくつか投稿し、当ブログの中でもよく読まれている人気記事でもあります。

その中でも不倫は悪いことだとお話していますが、不倫が悪いことだからと言って、それをどう思いどう対応するのかは、夫婦と不倫相手の問題です。もしそこで離婚など裁判が必要なのであれば弁護士を通して解決していく問題です。

あくまで本人たちの問題だと言うことです。
第三者である私たちは思うことはあれど、私たちの問題ではありません。

不倫を批判することは、自分の意見を言うことです。
自分の意見を言うとは、自分の主義・主張を唱えると言うことです。

その主義や主張は、確かに一般的には常識かもしれません。 しかし、問題は常識かどうかなのではありませんよね。 不倫が非常識ないことぐらい、わかっててやっているのですから。

不倫以外にも他人の離婚問題や、恋愛、家庭の問題、いろんなことに首を突っ込みあれはない、あれはひどいなど思うのは自由です。

ただ、それを批判したとき、あなたは何を思うのでしょうか。
それが間違いだと言うことは、自分の意見は正しいと言っているだけなのではないでしょうか。

自分の主義・主張を持つのは自由です。
それを他人に話すこともいい。
しかし、それを他人に押し付けるのは本当に正しいのでしょうか?

批判をする人はそんなつもりではないと言うでしょう。
そもそもこの記事自体批判についてお話していますが、批判を批判しているといも言えますよね。

批判は生きている限りなくならないもので、私たちは批判に傷つき批判で傷つけあっているのです。

これのくだらない負の連鎖を止めるには、誰も意見を言わないか、柔軟に物事を受け止めるぐらいしか私には思いつきません。

これと同じようなことを言ったのがブッダです。 仏教は、執着をなくし物事に良いも悪いもなくただ自分が良いか悪いかを決めているだけであると言っています。

不倫という事実がある。
ただそれだけのこと。

日本などの先進国では不倫は悪ですが、今でも一夫多妻の国は少なくありません。

やってることはほぼ同じなのに、一方では悪とされ、一方では善とされるのです。

批判も実はやってることや言っていることは同じでも、捉える人によって批判にも肯定にもなるのです。

不倫が悪だと感じる人にとっては、不倫を批判する意見を肯定します。 不倫が善だと感じる人にとっては、不倫を批判する意見を批判します。

その本質は、自分の主義や主張を肯定したい・されたいだけなのです。

それを理解せずにいることは、盲目的であると言えるのではないでしょうか?

誤解のない様に何度も言いますが、何も不倫を肯定しているわけでもなければ批判がいけないと言うことでもありません。

ただ自分の意見を言うことで、誰かを否定することにつながり、何かを意見すると言うことは、単純に自分が正しいと言っているだけにすぎないのです。

これをわかりやすく例を挙げるなら、「私はズバズバ意見を言う人が好きだ」と言う上司にいざ何か意見を言うと喜ぶどころかその意見を1つも取り入れず却下するのと同じです。

本当は意見をズバズバ言う人が好きなのではなく、自分が好きな意見をズバズバ言う人が好きなだけなのです。

これが意見の本質であり、批判とはただの主張にすぎないと言うこと。
そして何かを主張することは、自分を守ると同時に誰かを攻撃することでもあると言うことです。

「ペンは剣よりも強し」

誰もが1度は聞いたことのある言葉だと思います。

どんな物理的な攻撃よりも、言葉は時に死よりも苦しめてしまう恐ろしい武器であり、大人から子供まで誰でも使えるこの武器を簡単に軽々しく振りかざすのは、本当は非常に危険なことだと私は思います。

言葉は時に人を癒し、時に人を殺す。
顕著に表れていると思ったのがベッキーの不倫騒動だったと思います。

人は武器で争わなくなってきた代わりに、現代では言葉を使って争っています。

自分では武器を振り回しているつもりはなくても、相手にとっては鋭利な刃物となることもあるので言葉には十分に気を付けたいところですね。

それではまた。

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