出る杭は打たれると言う言葉があります。
何かに突出した人間を人は認められず批判することを現した言葉であることはみなさんもご存知かと思います。
成績が優秀な人を見て憧れ尊敬する人もいる反面、それが認められず人格を批判したり趣味や言葉遣いなどの批判をするなど、優秀な人の優れていない部分を探しそれを叩くのです。
しかしだからと言って出ない杭もまた叩かれます。
出る杭が打たれることを気にして自分の能力を前面に出さず自己主張をしない人も叩きます。
「自己主張がない」「能力がない」「やる気が見られない」出ない釘はこうして叩かれてしまいます。
ある意味出ない杭もできな奴と言う意味では突出していて、結果的に目立ってしまうことで叩かれているのではないかと考えます。
では一体どうしたら叩かれずに済むのでしょうか。
今回はそんなお話です。
sponsord link
人はどうすれば人から叩かれずに済むのか
結論から言いますと、人から叩かれない人はいません。
人はどのようにしても叩きます。
その理由は、出る杭が人によって違うからです。
上記でも話したように、出ない杭も打たれると言いました。
ある意味出ないことで目立ってしまうことから逆に出ているともいえ、かたくなに出ないようにすることで逆に出る杭となってしまっているのです。
だったら可もなく不可もなく目立たなければ叩かれないと思うかもしれません。
しかしそれでも人は叩きます。
能力を隠すな、遠慮するなと言います。
どうしても人が人でいる限り、目立たないということはほぼあり得ないことだと言えます。
その理由は、人が何かを知るためには必ず何かと比べなければわからないからです。
例えば、Aと言うドライヤーとBと言うドライヤー。
片方だけしか存在しないなら良いも悪いもわかりませんよね。
ですから叩きようがないのです。
しかしAと言うドライヤーとBと言うドライヤーがあることで、Aは色が白くて風量が強いのでより早く乾かせると言う特徴があって、Bは色が青で消費電力が抑え目で省エネタイプだと知ることができます。
これは両者を比較しなければ省エネだとか風量が強いなんてわかりませんよね。
なぜなら唯一無二なのであれば他に比べようがないからです。
人もまた同じです。
人は1人ではありません。
1人ではないのですから当然比較対象があります。
そのため自分と他者、他者と他者を比べることで人は自分と言う存在がどのようなものなのかを知ることができます。
一方その反面、何かと比べることで優劣の概念が生まれます。
私はあなたよりも体が弱いが知識がある。
あなたは努力家で前向きである。
あの人はカッコよくて誠実だ。
これらは全て誰かと誰かを比べて初めてそう考えることができます。
これらを踏まえると、人はどんなに目立たないようにしてもその人が目立たない限り目立たないと考えられるます。
とんちっぽくなりますが、目立たないことで目立っているのです。
そして誰かと誰かを比べることで否が応にも優劣が生まれます。
つまりどうしたってあなたと言う杭は出るのです。
ではなぜ人は出る杭を打つのか。
その理由は自分を確立するためなのです。
人は何かと比べて優劣をつけ、自分の立ち位置を知ります。
その立ち位置を認めることができないと人は叩きます。
叩くことでその相手を下げ、相手を下げることで自分の立ち位置を上げているのです。
出る杭は人間が生きている以上打たれます。
その現実はもはや変えようがないものなのかもしれません。
ですから私は相手に合わせることも大事かもしれませんが、気にせずにいることが大事なのではないかと思います。
時に相手に合わせすぎると、自分を殺してしまうことになる場合もあります。
自分を殺すと言うことは自分が自分を認めないと言うことです。
どうやっても他人からは叩かれ認められないと言うのに、自分まで認めなければ誰があなたを認めると言うのでしょうか。
出る杭は打たれます。
これは変えようのないものです。
自分すらも自分と言う杭を打ってしまっては、あなたはへこみ続けてしまいます。
だから自分だけは自分を認めてあげてください。
そうすればきっと打たれてもへこたれない心が生まれるのではないかと思います。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
sponsord link
コメント