いじめのキッカケは様々な原因があると思います。
「顔が気に入らないから」「性格が気に入らないから」
「趣味が理解できないから」「友達が傷つけられたから」
パッと思いつくだけでもこれぐらいはあります。
最初のキッカケは些細なものかもしれません。
しかし1度転がり始めた岩は大きなものにぶつかるか、下まで転がり続けなければ止まりません。
学生ならクラスが変わるまで、卒業するまで、会社なら部署が変わるまで、職場が変わるまで、仕事を辞めるまで、何かの区切りがなければ止まりません。
最初の理由はどうあれ1度転がり始めた岩は勢いをつけてますます力をつけてしまいます。
なぜいじめはどんどん加速していくのでしょうか。
その理由は、自分がいじめられないためにみなそれぞれが誰かにターゲットを付けている必要があるからです。
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ここで正義感が強い者がいじめなんかやめろと岩の前に立ちはだかったとしましょう。
その正義がいかに正しくても勢いのついた岩はものすごい質量に位置エネルギーが加わりかなりの勢いと力を持ちます。
生半可な力ではその岩を止めることはできず、止めたものを巻き込んでなお転がり続けてしまうでしょう。
つまりいじめは最初の内に止めるのが肝心なのです。
一部の人間が陰でこそこそ悪口を言うぐらいの内に止めておかねばなりません。
しかしそう言った輩は常にターゲットを探しています。
山の上から岩を転がそうと狙っています。
転がりやすそうな大きく丸い岩を狙っています。
なぜそんなことをするのか。
それは自分がターゲットにされないため。
自分から誰かに目をそらすため。
そして共通の敵を作ることで結託し、自分は正しいと言い聞かせ、自分が正しいことを証明し、暗に自分に逆らうことを許さないと言うルールを作り、独裁者の如く裁くのです。
しかしそのような者を裁いたからと言って問題が解決するわけではありません。
ヒトラーがいなくなっても世界には独裁者が未だに残っているのがそれを証明しています。
学校も社会も、世界の縮図のようなものです。
いじめをなくすには、いじめによる被害を隠さないことです。
いじめの事実を学校側は隠そうとします。
結果だけをいつも公表し、過程がどうなのかがわかりません。
ですから自分たちがどんどんエスカレートしていることに気付かず、自分たちの行いが酷いものだと言う倫理観がマヒし、これぐらい大丈夫だと高をくくりいじめを続けた結果自殺に陥ってしまうのではないでしょうか。
一概に何が原因で何を変えればなくなるなんてことは言えません。
しかし、いじめの事実から目を背けている間に岩は転がり勢いをつけ、大きな力となっていくのです。
いじめが自分の身を守るためであると言うことが正しいのなら、攻撃されないようにするか攻撃されても大丈夫なように教育していくかのどちらかだと思います。
あくまでも一説に過ぎませんが、目をそらさせずいかに酷いことなのかを見させることも、いじめを無くしていく1つの手段なのではないかと思います。
攻撃されたくないから攻撃する。 このことに気付ければいかにおかしなことをしているかわかるのではないでしょうか。
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