世話好きな人やおせっかいな人、誰かのためになりたいと考える人って傍から見ると素晴らしい人間性で、優しくていいなと思う人は多いと思いますが、今やメジャーな心理学になったアドラー心理学では、このような世話好きな人を単に優しい人だと見るのは間違いであると言っています。
一見「なんで?優しいならいいじゃん」と思う方もいると思いますが、なぜ世話好きな人が優しいわけではないと言ったのでしょうか。
その理由は、世話好きな人の裏側には、人のためといいながら自分を頼って欲しいと言う気持ちや、尊敬されたいと言う気持ちが原動力となって世話を焼いている側面があるからです。
人が誰かの助けになるとき、奉仕の心を持って無償で助けになっているかのように言いますが、実際は少なからず見返りを求めている所があるのです。
こう聞くとお金などを想像するかもしれませんが、お金だけではありません。
人の助けになったとき、ほとんどの場合感謝されますよね。
ありがとうと言われることで、自尊心を満たし自己肯定につながることがあります。
奉仕の心と聞くと一般的には慈善的で見返りを一切求めず相手のために自己犠牲の精神で行うことのように考えがちですが、心理的に言えば相手に感謝されることで自分の心を満たしていたり、助けた人の周りの関係者などから羨望のまなざしを受けることにより承認欲求が満たされているのです。
世話好きは相手のためと言いながら、実は自分の心を満たすためにしているに過ぎないと言うことです。
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このことを証明するように、世話好きの多くは相手にわかるように世話を焼きます。
例えば友人が何かに悩んでいるとき、相談に乗るよと言い話を聞きたがる人がいます。
悩みを聞いてくれるのは非常に嬉しいことなのですが、相手のためにと言いながら、多くの場合自分の考えを主張し始めます。
お金持ちで非の打ちどころのないAさんと、前からずっと好きだった平凡なBさん。
Bさんと上手くいき始めた矢先にAさんから熱烈なアプローチを受けていて、気持ちが揺らいでいると言う悩みに対し、「私はBさんが絶対良いと思う」とか、「私ならAさんにするな」など悩みを聞くのではなく悩みに答えるような人っていますよね。
これらは相手が悩んでいるから答えに近付ければと思い答えているつもりなのでしょうが、その答えは悩んでいる本人にとってはほとんど意味はありません。
人は自分が悩みを打ち明けるとき相手に答えを求めていないことを知っているはずなのに、相手から悩みを打ち明けられたとき答えようとするのです。
その理由は、自分が答えたことにより何かヒントになればいいなと思うからですよね。
つまり良かれと思って答えているのです。
しかし本当はそうではありません。
自分が答えたとにより、相手が悩みを解決することで「相手の力になれた=相手が自分の力を認めてくれた」となるのです。
相手にとって自分が重要な人物であると感じ、相手に自分が重要な人物だと思われたいわけです。
だからアドラーは世話好きな人が単に優しいわけではないと言ったのです。
それを世間では優しいと言うのかもしれませんが、世間一般の優しいイメージと違い、その裏側にあるのはただ単に自分が満たされたいから行っているだけで、これがエスカレートすると、世話好きからおせっかいに変わり、次第に相手を自分に依存させようとするようになるのです。
これは相談を受けたがる人を想像すればわかりやすいと思います。
相談を受けたがり、なんにでも首を突っ込もうとする人は、相手に頼られたいと言う気持ちから、段々自分を重要な人物だと思われるようになりたがり、さらに進むと相手を自分なしではダメになるように依存させようとしていくのです。
相談受けたがりな人も、最初は親身になって聞くかもしれませんが、段々自分以外の人に相談していることを知ると嫉妬したりしますよね。
結局は人のためだなんだと言いながら、自分のためにやっているだけだったのです。
言わなくてもみなさんわかっているとは思いますが、世話好きな人には警戒した方が良いですよ。
世のため人のためと聞こえの良い言葉を連ねる人の裏には、自分を頼って欲しいと考えているに過ぎないのですから。
それを見分けるために1つ伝授しておくことがあります。
世話好きな人や優しい人がいて、この記事で話したようにこの人は自分のことばかりしか考えていないのかもと思うかもしれませんが、本当に優しい人と自分のためにやってるのに人のためと言う人の違いを見分ける方法があります。
それは「なんでそんなに優しいのか、なんで人の世話をするのが好きなのか」と訊くことです。
本当に優しい人なら自分のためだと言います。
逆に自分のためにしている人は誰かのために力になりたいからと言います。
なぜなら、自分のためにしていると言うと、相手が頼ってくれなくなるのではないかと考えるからです。
自分のためだなんて言えば、私利私欲のためだと言っているようなものですよね。
するとこの人自分のことしか考えていないんだと思われてしまうと考えます。
そのため相手にそれを悟られると自分を頼ってくれなくなるので、聞こえの良い言葉を使って世のため人のためだと言うのです。
自分のためだとハッキリ言える人は、相手に頼られたいからしているわけではありません。
それに本当に相手のためだけを考えているのなら、相手が知らない所で助けているものです。
アドラーが言う世話好きは単に優しい人ではないと言うのはこのような事情から言っているのだと私は解釈します。
実際それが正しいのかどうかはわかりませんが、少なくとも私はこれが正しいのではないかと思います。
ある程度人生経験を積んでいれば世話好きな人がやっかいであることは、重々承知ではあると思いますが、みなさんもこのような人にはご注意ください。
それではまた。
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