某暮れなずむ町では「人は悲しみが多いほど人に優しくできるのだから」と言う記述があります。
この詩に感動して大変感銘を受けた方も多くいらっしゃることかと思いますが、実際人は悲しみが多いほど人に優しくできるのでしょうか?
人によると一言で片づけてしまえばそれまでですが、私はどちらかと言うと「人は悲しみが多いほど人には厳しくなる」と思っています。
例えばブラック企業の役員が必ず言う言葉に「俺の若い頃は当たり前だった」とか「俺が新人の頃はもっときつかった」と言います。
ブラックではなくても仕事で上司にこう言われた人はかなり多いのではないでしょうか?
そしてこれは仕事以外にも当てはまります。
学校の部活などで、先輩が「俺たちも先輩たちにそうされてきた」などと言います。
他にも姑が嫁に「私たちのころはこうだったああだった」と言いますよね。
こういう人は少なくありません。
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自分はもっときつかった、辛かった、あなたは全然まだマシだと人は言います。
これって人は悲しみが多いほど人には厳しくなっていますよね。
某B組の教師が言った言葉は、とても胸に響くものです。
私だけでなく多くの国民の胸に響いたはず。
それなのに、人はなぜ自分が苦しんだ分他人を苦しめようとするのでしょうか?
仕事でサービス残業を強要されるのは辛いことですよね。
部活で後輩が先輩の理不尽な要求をのまなければならないのは嫌なことですよね。
なんで自分がその立場になったとき、自分がされたことと同じようなことをするのでしょうか。
これでは本当は人は悲しみが多いほど人には優しくできないことを表していることになります。
私が知る限り苦労した人ほど他人に厳しいものです。
もちろんすべてそうだとは言いませんが、苦労した人ほど同じ分他人にも求めます。
ですから悲しみが多いほど優しくできると言うのは綺麗ごとにすぎません。
人は悲しみが多かろうが少なかろうが優しくできる人はできるしできない人はできない。
夢もクソもありませんがそれが真実です。
「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」
確かに良い言葉です。
ですが現実は逆。
みんな自分が苦しんだ分他人にも優しくできない人の方が多いです。
高熱でも仕事しなければならなかった人に、ちょっと風邪気味だから休みますなんて言えば間違いなくそんだけで休むのはやる気がないなどと言うでしょうね。
これが日本だけなのか沖縄だけなのか、それとも私の世界だけなのかはわかりませんが、世の中に悲しみが多いほど優しくできる人は少ない。
ですからこれを見たみなさんだけでもそうならないように願います。
それではまた。
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