親の責任がどうのこうのとか言う風潮

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コラム
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先日俳優の高畑雄太容疑者が強姦致傷の疑いで警察に逮捕されたことが報道され世間を騒がせました。

このことで「親の責任」と言う言葉を何度聞いた事でしょう。

容疑者の母である女優の高畑淳子の記者会見が記憶に新しいですが、親の責任って一体何なんでしょうか。

子どもが犯罪を犯してしまったら親も罪を償わなければならないのが親の責任?それとも賠償金の支払いなど金銭面での償いをするのが親の責任?一生悔やみながらひっそりと暮らすのが責任?

確かに親にも責任はあるとは思いますよ。

ただ、世間の言う親の責任って何なんでしょうね?

これが被害者本人や周りの方々が言うなら仕方のないことだと思うのですが、全く関係ない人が親の責任だなんだと騒ぐのがめちゃくちゃ意味が分かりません。

芸能人の場合だと被害者がテレビで見たくもない顔を見ることになるため仕事が減るのも仕方がないことだとは思います。

できる限りメディアには出ない方が被害者の方にできる唯一の償いであると言えますよね。

親の責任がないとは言いませんが、ぶっちゃけ親の責任って周りから押し付けられるものではなく、親自身が自ら責任を感じ償うものなのではないでしょうか。

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それにかなりドライな言い方になりますが、高畑容疑者を裁いたところで性犯罪はなくなりません。

これは他の犯罪も同じ事です。

殺人にしても詐欺にしてもその犯人を裁いたところでその罪の事実はなくなりませんし、その罪を犯す人は絶対に後を絶えません。

つまり罪人を憎んだところで罪はなくならないと言うことです。

「罪を憎んで人を憎まず」

日本にはこんな諺があります。

ガンジーも「罪を憎みなさい、罪人を愛しなさい」と言っています。

親の責任がどうのこうの言う前に、その「罪」がなくなるようにどうすればいいのか考えることの方がよっぽど建設的であると言えるのではないでしょうか。

こういうと被害者の気持ちを考えていないとか言われそうですが、被害者の気持ちを考えているからこそそう言うのです。

仮に今回高畑容疑者が捕まり母親の高畑淳子までもが仕事が減ったとしても、なんの抑止力にもなりません。

強姦は性的な欲求から行うものがほとんどで、性的な欲求の多くは衝動的なものです。

頭ではわかっていたとしても強い衝動に駆られて罪を犯してしまう人が強姦を犯してしまうのです。

ですから見せしめのようにしたところでそこまで頭の回る人なら最初から強姦なんてしないでしょう。

そんなことよりも強姦という罪に対し罰をどうするのかを考えた方が抑止力につながるのではないかと思います。

ただ単に死刑とか言うわけではありません。

それだと冤罪で捕まっても死にますからね。

残念なことに私のしょうもない頭では考えつくことはできませんが、罪そのものが減るようにしなければならないと思います。

少し話が長くなりましたが、要するに親の責任だなんだとか言う風潮は当事者が言うならまだしも第三者が騒ぎ立てることじゃないと言うことです。

そうやって騒ぎ立てることこそ無責任であると言えるでしょう。

こんなことを言っている私もまた無責任なのですが。

それでは今回はこれで以上です。
ではまた。

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