日本人は英語などの外国語を話すのが苦手です。
その理由としては、日本人が完璧主義なところがあって発音や文法など言葉の意味や言葉を伝えることよりも形にこだわってしまうところがあるからです。
例えば日本の主食であるお米は英語でライスと言いますが、ラをRの発音にするのかLの発音にするのかで意味が変わり、前者はお米、後者はシラミという意味の単語なのだそうです。
全然意味が違うので発音には注意しなければなりませんね。
しかし、よく考えてみてください。
ライスと言う単語を使う場面はどのような場面なのでしょうか?
恐らくレストランなどでお米が食べたいときなどにライスと言う単語を使いますよね。
そう考えると多少発音を間違ったとしてもレストランでシラミ出しますか?
そんなことはないはずです。
確かに同じライスでも発音が違えば意味は変わるのかもしれませんが、この発音の使い分けができないからといってライスが通じないわけではありません。
このような発音の違いや文法の違うなどで意味が変わる場合はあります。
sponsord link
ですが、相手からすればこちらは日本人だとわかっていて言葉を聞きます。
私たちが外国人の片言の日本語を聞く時と同じなのではないでしょうか。
そのため発音や文法の間違いは実はそれほど大きな問題ではないのではないかと思います。
日本人はこういった細かいところを気にしてこだわるところが良いところでもあり悪いところでもあると思います。
ではなぜこう言う細かいところを気にするようになってしまうのでしょうか?
その理由の1つとして日本人の完璧主義で減点方式な考え方になりがちなところにあると思います。
例えば日本では何をするにしても自分よりもどうか、周りと比べてどうかよりプロとしてどうか、専門家としてどうかなど自分の内側に基準があるのではなく外側に大きな基準があります。
これは良いところでもあり悪いところでもあるのですが、英語の場合だと英語ができる人=外国人の方と言う比較対象があって、それと比べてできているかどうかで判断してしまいがちです。
そしてそれは自分だけの話ではなく人に対してもそのように判断します。
そのため仮に自分は英語ができると思っていても周りはそう評価しないことが多々あります。
外国人の方の「日本語が喋れます」と日本人の「英語喋れます」ではハードルが違うのだと思います。
外国人の場合は挨拶程度の日本語でも喋れるの内に入りますが、日本人の場合の英語が喋れると言える範囲は本場の人と問題なく喋れるところが基準になります。
これは英語だけの話ではなくていろんなことにこのような考えは適応されます。
こういった考え方が根底にあるから英語を喋ることが苦手なのではないでしょうか。
軽く喋れるぐらいじゃ日本ではそれ全然ダメじゃんって言われます。
日本には出る杭は打たれるという言葉がありますが、英語にしてもちょっとだけできるぐらいじゃ打たれるのです。
こういった日本的な考え方が日本人が英語を喋るのが苦手な理由である発音や文法などにこだわる理由となっているのではないでしょうか。
なんでそんなにこだわるのかと言う理由には、日本人には内ではなく外に基準があって、それを越えなければ認められない、そして認められないものは出る杭は打たれるというように減点式で評価されるところにあるのかもしれません。
英語に限らずいろんなことに当てはまることだと思いますが、このこだわりは良いところでもあり悪いところでもあるなと私は思います。
変にこだわりすぎずにもう少し気楽に考えてみるともっと可能性は広がっていくのかもしれませんね。
それではまた。
sponsord link
コメント