時間は平等ではないという話

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コラム
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生まれた家やお金、肉体や精神、それぞれ性格や能力など個人差はありますが、どんな人でも1日の時間は等しく24時間。

なので誰にでも平等だと言えます。

しかし、体感時間は誰にでも等しいものではありません。

というのも、子どものころ学校が15時ごろに終わって家に帰り、そのまま友達と遊んで帰るのは17時か18時ぐらい。あるいは、学校の授業の合間にある休憩時間はものの10分15分程度であるにも関わらず、子どもはこのわずかな時間でいろんなことをしています。

大人になった今考えると、よくもまあたったの数十分、1~2時間でそれだけ遊べたなあと思いますね(^^;

今だと1時間なんてあっという間、ちょっとぼーっとしてたらすぐ1時間過ぎちゃいますからね。

下手したらなんだかんだダラダラしているうちに2時間3時間なんてすぐに過ぎてしまうぐらい短いものなのです。

これはどうやら年齢が上がれば上がるほど顕著になるようで、お年寄りの1時間と私の年代での1時間とでは体感時間が違うんですよね。

しかもヒマとか忙しいとかの問題ではないところが恐ろしいところです。

何が言いたいのかというと、若い時は多少ダラダラしてても取り返しが付くかもしれませんが、年齢が上がるにつれてちょっとダラダラしているつもりが思っている以上に時間を浪費してしまっている恐れがあるということです。

私は結構ぼーっとしたタイプというか、感覚的なタイプなので思いつきや何か目標がないとすぐだらけてしまいます。

私のようなタイプの方はそれほど多くはないかもしれませんが、そうこうしているうちにあっという間に1か月が過ぎ、1年が過ぎ、あれ?もう今年も終わりじゃないかと気づいてからでは後の祭りなんですよね(´・ω・`)

時間は誰にでも平等ではありますが、体感的な時間に関してはみんなに平等だとは言えません。

私みたいなのんびり屋なところがある人は、自分なりにスケジュールを立てたり、目標を持つなどしてダラダラするにしても意識的にしていかないと時間は待ってはくれませんので気をつけましょうね(´・ω・`)

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