あなたの常識は誰かにとっての非常識

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人生
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みなさんは当然常識と言う物を理解し、お持ちだと思います。
しかし、みなさんの常識、当たり前だと思っている事は、自分にとっての当たり前だと言う事をご存知でしょうか。

あなたが当たり前と言って人に言っている事は、実はその人や周りにとっては非常識かもしれません。
今回はそんな「当たり前」についてのお話です。

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あなたの常識は他人の非常識

例えば、自分にとっては、コーラとポテチは正義ですが、ダイエット中の人や、健康オタクの人からすればどうでしょう。
逆に悪だと思うのではないでしょうか。

このように、簡単な事だけだったら良いのですが、良く言われるのが、男にとっては女性から体の関係を求められたら、それを断るのは悪だと考えます。
しかし、女性からすれば、その気がないのに体の関係を持つ男は悪です。

これも最近は崩れつつある事なので、あまり参考にならないかもしれませんが、物事は、誰かにとっては正義でも、誰かにとっては悪になり得るのです。

あなたにとって、常識だと思っている事も、他人にとっては非常識になり得ます。
常識だからと言って、偉そうにするのは自分にとって不利益になる可能性があります。

例えば、数年前にコンビニでクレームをつけ、土下座を強要し、その動画を撮影してSNSなどの人の目に触れるインターネット上にアップした事件がありました。

その事件は、土下座を強要して、動画を見せびらかす事は、その人達の中ではそうされて当然だと思っていたのでしょう。
つまり、自分の常識を押し付けたのです。

しかし、世間ではそれを悪と言います。
これを知らずに、他人に強要し、人に見せびらかしたことで、その人達は警察のお世話になる事となり、逆に世間から叩かれる事となりました。

バカな奴だと思った人も多いのではないでしょうか。
そう思うのは自由ですが、そう思ったあなたは本当に常識をはき違えていないと言えますか?

この土下座事件も、その人達の中では常識でした。
常識と聞くと誤解するかもしれませんが、そうされても仕方ないとか、それは当然と言った言葉も、同じ事を表しています。

当然や仕方ないなどの言葉も、常識を押し付けている事と同じです。
少し言い方を変えただけで、こんなに印象が違うのです。

常識って何?

次に常識と言う事について考えてみましょう。
常識とは、その人の中の偏見の事を言います。
こう言うと、誤解する方がいるので言い直しますと、偏見とは、思い込みの事です。

つまり、常識と言うのは、その人の思い込みの事を指すのです。
その思い込みをさらに分解すると、常識は信じたい事です。
反対に非常識とは、信じたくない事です。

おわかりでしょうか、常識も非常識も個人の主観であり、その人の性格や感情、立場や環境などに左右されると言う事です。
この常識と非常識を言い換えると、正義と悪と言う言葉になります。

子どもには見せずらい内容ですが、正義のヒーローも悪の親玉も本質は同じで、どちらも自分の信じたことに一直線だと言えるのではないでしょうか。それが、世間や、その国、まわりの人達など様々なしがらみによって、正義と呼ばれるのか、悪と呼ばれるのかの違いでしかありません。

話が壮大になって来たので戻しますが、上司の当たり前と、新入社員の当たり前では異なると言う事です。
なにも上司と新入社員だけではありません。

社長と平社員でも違いますし、営業担当と経理担当でも違います。
警察とヤクザでも違います。

どちらがよりその世界に於いて一般的か、どちらがその国に於いて一般的かなど、その環境に依存しているのが常識です。
あなたが、常識と思っている事は、よその国や、よその地区、よその会社では通用しません。

それを人に押し付けると、先ほど話したようなモンスタークレーマーのような事になるかもしれません。
ここで大切なのが、謙虚な心です。

あなたがいかに優れていようが、あなたの常識はただのエゴです。
それを常識だ当たり前だと唱える事は、単なるエゴイストだと言う事を知りましょう。

おわりに

普段私たちの生活に必ずある常識。
それがこんなに壮大な話題へと発展するとは私も思ってはいませんでした。

ですが、これは事実です。
自分の常識や非常識を疑うことなく過ごすのも自由です、ただし、それをするにはリスクが高いと言わざるを得ないでしょう。

もし、常識を持って誇り高く生きたいなら、一歩間違えばただのエゴイストであり独裁者と紙一重だと言う事を覚えておいてください。

ここまで常識が悪と言うように聞こえたかもしれませんが、常識を持つこと自体が悪ではありません。
常識を押し付ける事が悪につながると言う事です。

つまり、今回の話を通して言いたかった事は、あなたの常識はその人にとってはどうだろうと一歩引いて考えてみると、視野が広がり、より良い考えが浮かぶのではないかと思います。

一つの事に凝り固まってしまっては、見えるものも見えなくなる事があります。
世間では、こだわりと聞くと良い物だと思うかもしれません。

しかし、よく考えてみてください。 こだわりとは、常識と同じような事です。 こだわりを言い換えると執着とも言います。

何かにこだわると言う事は、その何かに執着していると言う事でもあります。

こだわりを持つ事で成功すればいいのですが、常識と同じく、その時の時代や環境に依存してしまうので、そのこだわりが受ける環境であれば成功する可能性が高まります。

反対に、そのこだわりが受けない環境であれば成功する可能性は低くなります。
当たり前の事ですが、こだわりを持つこと自体は良くも悪くもありません。
ですが、そのこだわりを持つ事が自分の重荷になる事も忘れてはいけません。

余談ですが、原始仏教と呼ばれる、仏陀、つまりお釈迦様が唱えた仏教では、このこだわり、執着を無くし、全ての執着から解き放たれる事で悟りを開くことができるとされています。

このこだわりの事を、仏教では煩悩と言います。
幸せは人それぞれなので何とも言えませんが、こだわりを持つ事は、表裏一体と言う事です。

上手くいっている内は幸せだと思うかもしれません。
しかし、上手くいっていない時は不幸だと思う事でしょう。

どちらを選ぶのもあなた次第です。
ですが、自分で選んでおいてそれがダメだったからと言って何かに押し付けないようにご注意ください。

今回はこれで以上です。
それではまた。

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