普通とか常識って言葉

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コラム
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普通とか常識って言葉が私は好きではありません。

なぜかと言うと、普通も常識もその人の中のものでその枠の中での話だからです。

例えば学生にとっての普通と社会人にとっての普通は違いますよね。

学生は大人が言う普通や常識よりも自分たちの中の常識を重んじます。

学生の勉強や宿題などは成績のためであり進学のためにやるもので、社会人の勉強は自分磨きや仕事をするためのものです。

普通とか常識って、その人の感覚やその人の属する環境によって大きく変わってくるもの。

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同じ学生でも勉強大っ嫌いで勉強よりも遊びが大事なのが普通な人もいれば、学生の頃からしっかり勉強して将来に向けてしっかりやる人もいます。

つまり、学生と言う大きな括りの中のさらに真面目なグループ、チャラいグループ、不良グループなどいろんなグループに分かれていて、それぞれに違った価値観・常識として普通ってものがあるんだと思います。

ですから自分にとっての普通は相手にとっては普通じゃないことも少なくありません。

それらがぶつかり合ってごちゃごちゃすることを防ぐためにあるのが法律であり、マナーやルールなどの決まり事。

普通ってのは結局多数派ってこと。

ありふれていて何の変哲もないことであり、それが一番フラットな考えであると言うこと。

でもみんなそれぞれ何がフラットなものかは違い、何が普通かを計るものさしが違うのです。

普通はとか常識としてなどと言えるのは、自分のものさしで計ったものではなく、法律やマナーで決まったことでなければなりません。

そうでなければ自分の都合を押し付けるための言葉になってしまいますから。

現状では多くの場合普通はとか常識ではなどと言う人に限って自分の中の常識を押し付けてくることが多いので、私個人的には普通とか常識って言葉が嫌いです。

とはいえこれは私の中の「普通」ですから人に押し付けてしまっては本末転倒ですけどね。

それではまた。

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