こんばんは、今回は私が知っている偉人の名言をいくつか紹介し、個人的な見解を添えていきたいと思います。
それではます前回仏教関連の記事を投稿したので、ガンジーの言葉から紹介します。
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ。
「マハトマ・ガンジー」
許すとか許さないに強さは関係あるのかと思うかもしれません。
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これには、「相手を責めることで自分をなんとか保つことができる」ということが言えると思います。
例えば、友人にAという燃費が悪いが見た目がおしゃれな車と、Bという燃費は良いが見た目がダサい車どちらにするか悩んでいると相談したとします。
友人としては見た目なんか若いときは気になるけど、もう少し年を取ったときに気にならなくなるからBにした方がいいと勧められて、Bの車を購入することにしました。
しかし、この車の見た目が原因で彼女に振られました。
そんなことがあったとしたら何人かはやっぱりAの車にしとけばよかったと考えると思います。
もしくは友人がBの車を進めたせいだと思う人や、車の見た目程度で振る彼女が悪いと思う人もいるかもしれません。
しかし、よく考えてみると別に誰も悪くなんかありません。
車の見た目がダサいのは買うときからわかっていたことですし、友人にBを勧められたからと言って最終決定は自分がするのです。
こういった場合誰かのせいにしたり何かのせいにするのは、自分が悪いのを認める心の余裕がないからです。
自分が安易に燃費のことを考えてしまってBを選んだばかりに恋人を失う結果になってしまったことを受け入れることができない。その気持ちを他の何かに向けることで、それ以上傷つかないようにしているのでしょう。
でも誤解しないで欲しいのが、だからと言って弱いと言っているわけではありません。
受け入れられないのは心が弱いからですが、自分の弱さに気付くことができればその時から強くなるのですから。
もしあなたの周りになんでも人のせいにする人がいれば、気付かせてあげてください。
人が誰かのせいにするのは、心が弱いからなんです。
別の言い方をすれば自分は弱い心の持ち主だと自ら言いふらしているようなものですよと
そして、逆に人のせいにしたりしないしっかり自分の中に原因を受け入れることができる人が居れば、その人はとても強い人です。
受け入れることができるということは、その分器が広いということでもあるのですから。
ただパッと見ただけで判断するのは禁物です。
あなたが見ていない所では愚痴ばかり言う人かもしれませんし、見た目だけでその人が許したのか判断するのは難しいです。
私が知る限りでは、心が強く広い人は多くはありません。
もしそのような人が近くにいれば、その人から学ぶべきところはたくさんあります。
尊敬すべき人はこういう人だと思います。
そういった人にまだ出会えていないのなら、己の中に問題があるのかもしれません。
それを表すような言葉があります。
世界とは鏡のようなもの。それを変えるにはあなたを変えるしかない。
です。
この二つが真理だとすれば、周りに恵まれないとか、尊敬する人が見当たらないということは自分で自分のことを良く思っていないと言う事なのでしょう。
でもそれに気が付くことができたのなら、その時から変化し始めているということです。
これを読んで下さったあなたも何か思う節があったらこの瞬間からあなたは変化し始めたのです。
今はまだ実感もないでしょう。
これから変化し続けていけば周りの世界が変わっていくはずです。
もし周りが変わったなと感じたら、あなたは変わったんだと思います。
最後に
人格は、繰り返してきた行動の総計である。それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である。
「アリストテレス」
それでは今回はここまでです。
また次回お楽しみに。
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