ここ最近は誰かに特化した名言記事や、電子書籍を出版するためにおなじみの偉人の名言コーナーをお休みさせていただいておりましたが、今回は久しびりに第9回偉人の名言のコーナーをお送りしたいと思います。
今回紹介する名言は、私が出した電子書籍「心のビタミンまいにち名言」に載せるつもりで集めたが、やむなく載せるのを断念した名言となります。
まいにち名言では31個に絞ったため、除外しましたが、素晴らしい名言なので、これらもあなたの心を潤すビタミンとなってくれることでしょう。それでは早速、レッツビタミン!
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不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
「徳川家康」
日本人なら誰でも知っているであろう歴史上の人物。
徳川家康が残したとされる名言です。
家康さんは結構苦労人だからか、苦労がにじみ出るようなお言葉ですね。
仏教では、物事は移り変わり、全ては思い通りにはならない。
「一切皆苦」「諸行無常」と言います。
家康さんも仏教徒なのか、同じようなことを言っています。
不自由を常と思えば不足なし。
一切皆苦⇒すべては思い通りにならない 諸行無常⇒すべては移り変わるもの
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
心に望みがおこれば、一切皆苦で諸行無常だと思い出せば惑わされない。
というような言葉だと解釈します。
期待するのはいいのですが、期待通りに行かないとムカついたり悲しかったり、嫌な気持ちになりますよね。
でも最初から思い通りに行かない不自由だと思っていれば、それが当たり前なのですから傷つくことなく解決に向かうことができます。
思い通りにしようと考えると、上手くいかなかったときに、感情が湧きおこります。 感情は、ときに心の声を消し、心の目を曇らせます。 したがって、よりドツボにはまってしまう恐れがあります。
それを回避するために、不自由を常と思えば不足なしと言ったのではないでしょうか。
そして、いくら成功しても、その初心を忘れずいれば苦しむことなく過ごせると言った言葉だと思います。
貧乏になりたくないと考えるのではなく、今が恵まれていると思えば不足はありません。
不足とは、足りないということなのですから。
幸せとは、他人が決めるものではなく、自分の心が決めるもの
「中村文昭」
幸せって人によって違いますよね。
ある人はおいしいものを食べられるのが幸せ。
ある人はたくさんの人に頼られるのが幸せ。
幸せって形がないもので、1人1人自分なりの幸せがあるはずです。
それなのに人は自分と他人を比べ、自分は不幸、あの人は幸せだと一喜一憂するのです。
幸せがそれぞれ自分の形があるということは、裏を返せば幸せかどうかを決めているのは、他人じゃない。自分なのです。
つまり自分と他人とを比べ、私は不幸だ、あの人は幸せそうで羨ましいと考えるのも、自分が決めることだと言うことです。
幸も不幸も、自分がそう思っているだけだと言うことです。
事実、あなたが自分を不幸だと言っても、誰かにとってあなたは幸福です。
例えば日本人で食べるのも困るほど貧しい人はかなり少ないです。
しかし、貧しい国の人達は毎日食べることができる、それもおいしいものを食べることができる日本人は、考えられないほど幸福だと考えるのではないでしょうか。
だからと言って、貧しい国の国民は不幸なのかと言われると、そうでもないかもしれません。
確かに食べるものがなく、辛い思いはしているかもしれませんが、その分食べ物にありつけた時のありがたさや、感動、特においしいものを食べたときの感動は、私たち日本人をはじめ、先進国の国民よりも確実に幸福を感じられることでしょう。
食べることに幸せを感じるということは、毎日生きられることも幸せだと感じるということです。
日本で毎日食べられて、今日も生きてる。
それだけで幸せだと感じられる人は、大病を患っている人ぐらいではないでしょうか。
つまり、人間は大病を患ってみなければ生きていることに幸せを感じず、生きていることを幸せだと思わないのです。
本当は生きていることはとても幸せなのに。
一体どちらが幸せなんでしょうね。
私は、自分はこんなに大変でこんなに不幸だと、不幸自慢ばかりしている日本人よりも、生きていることに幸せを感じられる人の方が、幸せなんじゃないかなと思います。
なぜなら、大病を患って明日生きているかもわからない人は、「今生きていることが幸せ」だと言っているのに対し、明日も順調に生きられるであろう人は、「お金がなくて不幸」「時間がなくて不幸」「とっても忙しくて不幸」つまり、自分は不幸だと自分が言っているのですから。
幸せか不幸せかを決めるのはあなたです。
あなたが自分は不幸だと言えば、あなたは不幸です。
しかし、あなたが幸せだと言えばあなたは幸せなのです。
老後は幸せに暮らしたい。
結婚したら幸せに暮らしたい。
今一生懸命頑張って後で楽したい。
よく聞く言葉ですよね。
これらの言葉は裏を返せば「今は幸せではない」と言っているのです。
今幸せでないと言っている人が、老後を幸せだと言えるでしょうか。
結婚して幸せだと思えるでしょうか。
後で楽するために今苦しんで、本当に楽になれると思いますか?
答えは無理です。
なぜなら、未来も今がつながった結果未来なのです。
今が続いた先が未来なのに、今を幸せだと思えないのならいつまでも幸せだと思えない「今」が続いていくのです。
老後に不労所得を得て楽ために頑張る人は、不労所得を得ることができても、老後もずっと安心することができずずっと何かを頑張り続けるでしょう。
どこかで気付かなければなりません。
足りない足りない、欲しい欲しいと思って頑張れば確かに得ることはできます。
しかし、ずっと足りない足りない、欲しい欲しいのままいくら得ても充足を得ることはできません。
どこかで気付かなければ一生足りないまま終えてしまうでしょう。
落としどころを付けるのは、他でもないあなたです。
あなたが決めることなのです。
足りないではなく、足りている。 自分は満足だ。
そう思えたときあなたはやっと満足するのです。
愚か者は幸福がどこか遠いところにあると思い込んでいる。利口者は幸福を足元で育てている。
「ジェームズ・オッペンハイム」
つまりこういうことです。
自分で不幸だと言う人は、幸福はどこか遠くにあるものだと思い込んでいるだけで、本当はすぐそこに幸福はあるのです。
本当はあなたのすぐそこに、私のすぐそこに幸福はあるのです。
それに気づかず自分は不幸だと思っているだけ。
たったそれだけの違いにすぎないのです。
その理由はもうおわかりですね。
今回は幸福についてをテーマとしてお話してきましたが、いかがでしたでしょうか。
そうは言っても簡単に納得できるほど単純ではないかもしれません。
ただこれからは、不幸ばかりに、不足ばかりに目を向けるのではなく、充足を探してみてはいかがでしょうか。
意外にすぐそこに幸福はあるものです。
幸せになるのではなく、本当はすでに幸せなことに気がつくことでしょう。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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