スランプとかトラウマ・イップスなどの精神状態について

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心理
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みなさんはスランプに陥ったことや、トラウマになったことをありますでしょうか。

スポーツや芸術などのイメージが強いですが、勉強や仕事でも自分が好きで頑張ったものであればなんにでも起こり得るスランプ、それに加え人間関係などコミュニケーション関係のトラウマなど、あまり一般的ではないように思えて実は誰の身近にもあり得ることです。

またイップスとは、スポーツでトラウマやスランプに陥り運動障害を起こしてしまうことを言います。

例えば野球のピッチャーが、大事な場面で打たれてしまい、それを機にスランプに陥ることなどがありますが、その打たれた場面がトラウマになり、投げることができなくなってしまいます。

この時の投げることができない状態と言うのは、大げさな話ではなく、投げる直前まではできてもそこからボールを投げることができなくなってしまうのです。

頭で考えられるのに、体はその通りに動かないと言うことです。

本来はプロスポーツ選手に多いイップスですが、私はプロでもなければ上手でもないのにイップスになったことがありました。

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ただの甘えと思われるし自分もそう考えて余計に苦しめる

イップスと言うにはあまりにしょぼいので人には言えませんが、私の10代のころはかなりのダーツブームで、もれなく私もダーツをよくやっていました。

とはいえガッツリやっていたわけではなく、たまに1人でも複数でもやるぐらいでハッキリ言って腕前の方も下から数えた方が早いレベルではありましたが、負けず嫌いで完璧主義な性格から、上手くできないことにイラつき段々ただのお遊びから勝負事に認識が変わっていきました。

他の記事でも自分の過去の話をしてきましたが、この完璧主義な性格が災いし、今思えばこれが原因で様々なことに苦しめられてきたなと思うのですが、そんなことは当時はわかりません。

そうして仲間内でワイワイして楽しんでいただけだったはずなのに、いつしかダーツは本気でのめり込むようになっていき、上手い人と一緒にやって研究したり、雑誌を読んで学んだりしていくのに対し、実力は全く伸びず悩んでいました。

「才能がない」と一言で片づけるのは簡単です。 そんなに方に力入れて、もうちょっと気楽に考えたら良いと言うのも簡単です。

しかし当時の私には頭では理解してもそれを心で理解することはできませんでした。

それどころかよりドツボにはまり、より自分を追い込んでいきました。
その結果、上手くなるどころかある時急に、ダーツを構え、狙いをつけて、腕を引いて投げる。

たったこれだけのことができなくなりました。

厳密に言うと、構えて狙い、腕を引くまではスムーズにできるのですが、ダーツの矢を放つことができないのです。

なぜか、腕を引いてから投げるまでがスムーズに行かず、違和感を感じてダーツの矢を持つ指が離せなくなり、一連の動作を早くしても遅くしても腕を引いてから「投げる」、この「投げる」の部分だけなぜか腕が止まり、指が硬直して離せず、引いてから離すところに近付くほど胸がどんよりと重くなり、私はこの日からダーツを投げることができなくなってしまいました。

普段なら止めればいいやで終わるのですが、あの胸のどんよりとした気持ち悪さはなんなのかが気になり、調べていると「イップス」と言う運動障害があることを知りました。

その記事には、スポーツ選手などが試合などプレッシャーのかかる場面で失敗をしてしまい、その場面がトラウマになってしまい特定の場面に思うように体が動かなくなってしまうと言う風に書いてあったのを覚えています。

特定の場面と言うのは、例えばダーツを投げるにしても、通常の投げ方ではなく野球のピッチャーのように投げたり、利き腕ではない方の腕で投げるなど、別の方法で投げることはできます。

ですが普段のようにやろうとしても、それはできません。

その理由は「投げる」と言う行為よりも、投げる時の「精神」が原因となっているからです。

幸い私はプロはもちろんもともと下手くそだったので未練はありません。
甘えとか問題の解決よりも、嫌な事から逃げることの方が容易でした。

こんなに辛く苦しい思いをしてまで趣味に興じるものではありません。

楽しくもない趣味はもはや趣味ではありません。
ただの拷問です。

それからはダーツは一切しなくなり、それからしばらくして世間のダーツブームも下火になっていき、ダーツに関わることもほとんどなくなったので、私のイップスはそれで終わりました。

あれから数年経った今は、大分良くなり普通に投げることができます。
それでもたまに顔を出すことがあります。

真剣にやることはもうできません。

例えば罰ゲームで負けた人がお会計を持つとか、そう言ったレベルの勝負事であれば別に奢ってもいいやと思えるのですることはできますが、どうしても負けられない場面ではもうダーツで勝負を決めることはできません。

そんなことはこれからの人生でないと思うのでいいんですが、あの時のその気持ちは本当に嫌なものです。

あの時のあの気持ちは、周りから見れば「気にしすぎ」「考えすぎ」だと思うかもしれません。

でも1度イップスやトラウマを持ってしまうともう遅いのです。
一朝一夕で「気にするな」の一言でもう「気にしない」となれるほど簡単ではありません。

なぜなら、自分でも気にしすぎなのは重々承知なのですから。

私はこんなしょうもないことでイップスになったことがあり、その時の気持ちを知ったので、イップスやトラウマを持つ人の気持ち、うつ病の人の気持ちなどはなんとなく理解する事ができます。

私はまだ軽度のものだと思いますが、それでも相当辛かった。

それと同じでも大変苦しいのがわかりますし、もしかしたら私以上にもっと辛く感じている場合もあるかもしれません。

そう考えると、甘えているのかもしれません。
ただ逃げているだけなのかもしれませんが、それでいいと思います。

私は甘えていると言われても、甘えられる環境にいさせてもらいます。
逃げてるだけだと言われても、逃げさせてもらいます。

逃げてばかりではいけない、甘えてばかりではいけないと言いますが、だからと言ってずっと苦しまなければいけないわけではありません。

うつ病になったことがなければうつ病がどんなに辛いかわかりません。
トラウマを持ったことがなければどんなに苦しいのかはわかりません。

私は実際少しでもその苦しさの片鱗を味わったからこそ言いたい。
周りはそのような人を助けなければならない。
そしてその本人も周りを頼らなければならないと。

助けると言っても、直接アドバイスをするとかそんなことではありませんし、頼ると言っても、誰かに相談したりしろと言っているのではありません。

そのような直接的な話ではなく、精神的な話です。
助けるとは手を差し伸べること。
頼るとは自分を追い込まないこと。

これは決して他人事ではありません。
誰にでもあり得ることです。

特に完璧主義や負けず嫌いな人は注意してください。

必ずしも何か形を成して原因がハッキリしているわけではありません。
原因はわかっているつもりでも、それが根本にある原因とは限りません。

そして精神的な問題は、簡単に治るものではありません。
もし周りにそう言う人がいるなら簡単に解決できるような問題ではないことを理解しておきましょう。

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