かまってちゃんとは、人の気を引こうとしたり構ってくれないと不機嫌になるなど、寂しがり屋の上位互換のようなものです。
若者言葉では「かまちょ」などと言われるかまってちゃん。
しかし、実は人に対してあいつはかまちょ。
それってただのかまってちゃんじゃないかなど言う人ほど自分がそうであることが多いのです。
今回はそんなかまってちゃんについて、その理由をお話していきたいと思います。
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かまってちゃんかどうかは、自分がかまってちゃん要素がなければ気付かない
人は自分が知っていることしか考えることはできません。
構って欲しいと言う気持ちがなければ相手が構って欲しいと感じ取ることができません。
1度でもそれをやったことがあるか、されたことがなければ相手がなぜそのような行動をとるのか理解することができないのです。
そしてそれを知って考えることができると言うことは、必要以上に感じ取ってしまうと言うことでもあります。
かまってちゃんだとバカにする人は、かまってちゃんがダメである。
かまってちゃんはダサい、キモイ、ウザいなど否定的に考えているわけです。
否定的に考えていること自体は問題ありません。
しかし、否定的に考えている人は、嫌だと言いながらその嫌な事ばかり見ているのです。
かまってちゃんは嫌だと言いながら、かまってちゃんのことばかり考えていると言うことです。
これは何もかまってちゃんだけの話ではありません。
例えばタバコが嫌いな人は、タバコを吸っている人を見るだけで嫌悪感を抱きますし、もっとひどくなると「タバコ」の文字を見るだけで反応します。
それは、タバコに意識が向いているからです。
かまってちゃんを嫌がる人も同じで、何とも思っていない人は全く考えないのに対し、嫌だと考える人はその事ばかり考えるのです。
とはいえ、その嫌なことがなくならないから嫌なのに考えてしまうのだと思いますよね。
だから嫌煙者はタバコがなくなればいいんだと言います。
この問題は単純ではありません。
タバコがなくならないのは、タバコを必要としている人がいることもありますが、それ以前にタバコがなくなると仕事がなくなる人がたくさんいます。
嫌煙者のタバコ嫌いと言う理由だけで、タバコを世の中から無くせば、多くの人が職を失い生活できなくなるのです。
感情だけで無くすことはできません。
かまってちゃんも同じで、嫌だと言う人がいる反面、好きだと言う人もいるのです。
そしてなによりかまってちゃんや、タバコなど嫌だ嫌だと言う人に限って、自分が同じような性質を持っているのです。
何も全く同じだとは言いません。
煙草嫌いな人がタバコを吸いまくっていると言っているのではありません。
その行為そのものではなく、根本の部分の性質が似通っているのです。
例えば、タバコが嫌いな人には臭いが嫌だとか理由はあると思いますが、それはあくまで表面上の理由です。
タバコ嫌いの本質は、ニオイがどうのこうのではないのです。 それ以前に、人に迷惑をかけることなのではないでしょうか。
かまってちゃんが嫌だと言うのも、嫌の本質は人に迷惑をかけることや、他人を振り回すこと、カッコ悪いと言う価値観など、その行為自体ではなくその行為によってどんな影響があるのかが本質なのです。
そして、その本質の部分を見直してみると、自分にその要素があるからだと見えてくるのではないでしょうか。
自分の中にかまってちゃんと同じ要素があり、それが嫌でダメだと思っているからこそかまちょかまちょとバカにして批判するのではないでしょうか。
そんなことはないと言うのならこれ以上は何も言えませんが、本当にそれが嫌なのであれば、自分の内側を見つめなおしてみてはいかがでしょうか。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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