輸血や臓器移植をしたあと性格が変わると言われる理由

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コラム
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みなさんは全身の血が輸血で入れ替わると性格が変わると言う都市伝説をご存知ですか?

この都市伝説は血だけではなく臓器移植をして性格が変わったなどと言うケースもあるのですが、実際眉唾もので本当に性格が変わるわけないじゃんと思う人がほとんどではないでしょうか。

しかし、もしただの都市伝説ではなく本当に性格が変わるとしたらどうしますか?

私は臓器移植や輸血によって性格が変わると言える理由が2つあると思います。
今回はその理由についてお話したいと思います。

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輸血や臓器移植で性格が変わる理由

今回お話する2つの理由の内1つはオカルト的な話ともう1つは現実的な話となっています。

まずはみなさんが信じがたいであろうオカルト的な理由からお話します。

まず人間の体は約60%が水分でできているということは中学生以降の方なら大体知っていると思います。

水分とはいえ60%は血液を含めた数字であり、すべてが血液なわけではありません。

血液は全体の水分量の1割もありません。
体重が60㎏程度の人でおよそ4リットル程度が血液。
と言うことは大体6%が血液だと言う計算になりますね。

では臓器はどうでしょう。
臓器移植と言えばメジャーなのが腎臓です。
腎臓は大体150gほどで、体重の1%未満です。

全てのものは原子の集まりであることはご存知かと思います。
人間の体もその例にもれず、全て原子の集まりで出来ています。

私たちは、原子が集まった集合体であるとも言えるのです。

その原子の集まりの中の1つに「脳」と言う臓器があります。
脳は同じ原子の集まりですが、他の臓器とは違い私たちが考えたり動いたり、生物として存在するためには必要不可欠なものであると言えます。

しかし脳も腎臓も血液も、原子の集まりであることに変わりありません。

であれば脳にだけ情報が蓄積されるのではなく、他の臓器や血液にも多少なりとも生きて来たデータが残っている可能性があると考えられます。

なぜなら脳も他の臓器も全てはつながっていて、一つの人間と言う生物の一部であるからです。

1つの生物から別の生物に一部が移行したのが輸血や移植。
元々は別の人のものだったのが自分のものへとなります。
このとき、自分が持っている原子の集まりではなく別の原子の集まりが入りますよね。

脳には記憶がありますが、これはただの電気信号ですよね。
この電気信号は、脳だけに流れるものではなく、手足や内臓、体のいたるところに流れて触覚・嗅覚・視覚・聴覚など五感となって感じます。

その感覚を電気信号として脳に送り出し、脳がその電気信号を読み取る。
すると物が見え、聞こえ、感じることとなるのです。
つまり、脳は受信機でもあるのです。

逆に臓器は発信機でもあると言えますね。
臓器には発信ている電気信号があります。
これが自分と他人とまったく同じであるとは思えません。

臓器移植で性格が変わるのは、電気信号が変わったからと言えるのかもしれません。

血液の場合血液自体は電気信号を発することはできません。
その代わり全身をくまなくめぐる血液は、その分人の体の隅から隅まで通ったとも言えます。

このとき血液自体には電気信号を発することができなくても、血液に電気信号が通る可能性があります。

その電気信号を血液を形どっている原子が記憶し、大量に輸血をしたとき性格が変わるのかもしれません。

つまり原子が記憶していたことで輸血や移植をした際に元の性格から変わると言えるのではないかと言うのがオカルト的側面から考えた理由です。

これは科学的根拠もないですし、あくまで輸血や移植をすると性格が変わると言う都市伝説の延長線上の話だと理解してください。

では次に現実的な理由についてお話します。

現実的な理由とは、大量に輸血するときや移植をするとき。
ほぼ確実に大手術であることが前提です。

人生でそんな大手術を受けるとなれば、死を覚悟したり、目が覚めたとき生きていることの喜びを感じたり、今までの人生では考えられないような経験をすることになりますよね。

その大きな経験により価値観が変わり、その結果性格が変わったと言われるのではないでしょうか。

例えば今まで健康に一切気を遣わず、不摂生をしていた人が、交通事故で生死をさまよって息を吹き返したとします。

最初は自分が事故にあい大手術をしたことなんかわかりません。
しかし見舞いに来る家族や友人、病院の先生などの話を聞くうちに大変なことであったのだと知ります。

いろんな人に心配をかけたことで健康や生きていることの幸せを噛みしめ、それから健康的な生活を送るようになるのでしょう。

もしくは自分の不摂生により病気で苦しんだ人が、病気を克服し回復したとすれば今まで不摂生していたのを止め、節制した生活を送るようになるのではないでしょうか。

そう考えると確かに性格は変わったと言えると思います。

その中で人によっては奇しくも人の冷たさを改めて知ることになり、社交的だった人が世間との関わらないようになったり、反対に今まで人が嫌いだった人が、人の温かさを知ることになり、人と積極的に関わるようになるなど、闘病中などの経験によって性格が変わる可能性もあります。

人の価値観を変えるほど大きな出来事であると言うことです。

人から見れば、輸血をするほどの大手術をした後から変わった。
移植手術をしてから人が変わったなどと感じているだけで、本人としてはその手術前の関わりで大きく変える何かがあったのかもしれません。

それほど生死に関することは大きな出来事であると言えるのではないでしょうか。

と言うのが現実的な理由です。
どちらも研究したわけでもなければ、臨死体験をしたことがあるわけでもありません。

あくまで想像上の話ですので正しいのかどうかは定かではありません。
これが定かになることは恐らく私たちが生きている間に研究される可能性は低いと思いますが、2つの理由の内あなたはどちらが真実だと思いますか?

恐らく多くの方が後者の現実的な理由であると答えることでしょう。
しかし、前者の原子に残った記憶説もあながち間違いとは言えないかもしれません。
もし魂と言うものがあるのなら、それは原子だと考えられると私は思います。
魂の一部である血液や臓器が移植されるのですから、性格が変わることもあるのかもしれませんよ。

それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

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