子どものケンカなどでよく見られる「〇〇君が先にやったから」とか「〇〇君の方が悪い」など先に手を出してきたのが誰なのかやどちらが悪いのかを擦り付け合うことってありますよね。
子どものケンカだと大人が仲裁して落ち着かせてからお互いごめんなさいして終わりですが、大人の場合だと同じようにどちらが先に手を出してきたか、どっちが悪いかなどに注目するのは相も変わらず続けているのに対し、大人のケンカではお互いにごめんなさいで体裁だけを整えて、心の内ではどっちも自分が正しいと思い反省しないことがあります。
こうして言葉にするといかにダサくて大人げないことなのかがわかりますが、実際ケンカするときって自分が認められないからケンカするのですからこうも簡単に終わるはずがありません。
このときどちらが悪いかやどちらからやったのかなどが議論の中心になりがちですが、ハッキリ言ってそんなことを議論しても何の意味もない不毛な争いであると言えます。
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なぜならどちらが悪いかなんて自分たちで決めようとすれば当然どちらもお互いの主張を曲げませんよね。
一方どちらが先にやったかは調べれば白黒つけることはできます。
しかし、先にやったから悪いと言うのは謎です。
仮に先にやった方が悪いのだとしても、ケンカになった時点で同じ土俵に立ったと言うことです。
悪いと思っている相手と同じ土俵に立つのです。
そうなると当然相手だけが悪いわけではなくなりますよね。
同じ土俵なのですから。
子ども同士の仲裁に入るときはそれがよくわかっているはずです。
お互いに傷つけ合ったのだからどちらも悪い。
それで決着がつくはずです。
しかし大人のケンカではこうならないのは一体なぜなのでしょうか。
その理由は、子どもは自分だけが正しいわけではないことをよくわかっているからで、逆に大人は自分の考えが正しいと思っているからであると言えます。
子どもはまだ自分が未熟で知らないことがたくさんあると言うことを理解しています。
なぜなら自分が大人ではないからです。
子どもは自分が正しいとは思っていても、自分が大人ではないことを知っています。
そのため自分にも落ち度があるかもしれないと考えることができます。
しかし大人は自分が大人であることを知っているがゆえに自分が正しいんだと思い込んでしまっています。
多かれ少なかれ大人であれば必ずそれはあります。
それは人間が自分がやってきた経験や知識によって物事を判断しているからです。
例えば日本の企業って残業が好きですよね。
本来なら残業するような非効率なやり方を直さなければならないところを、残業してプライベートな時間を削って働くことが素晴らしいことであるかのような風潮があり、効率よりもどれだけやったかを重視しがちだから残業ばかりしてしますのです。
その背景には日本が年功序列社会であることが関係しています。
年功序列では無能でも年齢が上であれば仕事上の立場も上になります。
そして日本は戦後著しい経済成長を遂げ今があります。
つまり高度経済成長期のころとにかくがむしゃらに働いて働いて働きまくっていれば社会も収入もどんどん増えていった時代の上司が教えて来たものを忠実に守って来た結果が今の無駄な残業につながっていると考えます。
結果はすぐには出るものではありませんからとにかくやっていればいつか結果がついて来てくれると言い、残業をしてきたのでしょう。
しかし今の日本は経済成長がストップしていると言っても過言ではありません。
それでも残業をやめないのは、それが努力だと思い込んでいるからです。
自分がやってきた努力。
自分が経験してきたことや知識。
それらを指標として人は物事を判断します。
無駄な残業が減らないのは、残業してきた経験。
上司から教えてもらった知識。
自分がやってきた努力。
それらを合わせて考えた結果が今の無駄な残業につながっていると思います。
これと同じで、人は自分がやってきた経験や今まで習ったことや得た知識。 たったそれだけのものさしでしか計っていないためにしょうもない争いになってしまうのです。
一歩引いて考えればいかにしょうもないかがわかります。
子どもも大人もただお互いに自分のものさしで計って、お互いにこれは10センチだ、いやこれは30センチだと言いあっているに過ぎないのです。
子どもなら後腐れもなく素直に聞くからまだいいですが、大人は自分のものさしをまるで数ミリ数ミクロンまで計れるものさしのように考え、自分が正しいんだと聞く耳もたないから厄介です。
正直他人から見ればどちらも正確なものさしではありません。
どちらもうぬぼれているだけに過ぎません。
そんな他人もまた正確なものさしを持ってはいません。
もちろん私も含めてです。
我々が持つものさしは、あくまで自分専用のものさしです。
そんなものさしで他人を計っても、自分専用なのですから当然違ってくるものです。
丸い物を計るために、1メートルものさしを使う人はいませんよね。
それなのにこれと同じようなことをしているのです。
だから計り間違えて、それは違うこれは違うと不毛な争いになってしまうのです。
そうこうする内に誰が先にやったか、誰が悪いのかと擦り付け合うようになり、誰も得しないしょうもない争いになってしまうのです。
争いの根本にあるのは、相手を認めることができないと言う気持ちです。
認めることができないのを認めろとは言いません。
ただ認められないだけなのに偉そうに揚げ足取り合っているようじゃ子どものケンカよりも子どもっぽいと思いませんか?
揚げ足取り合っても、結局はお互いに転ぶだけです。
どちらもメリットはほとんどありません。
どちらが悪いのかなんてのは愚問です。
同じ土俵に乗った時点でどちらも悪いのですから。
自分の持つものさしがいかに雑で自分を計るために特化しているものなのかを理解するよう努めましょう。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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