人は好きなものや嫌いなものに理由をつけようとします。
嫌いな人がいたとして、その人が嫌いな理由を思い浮かべてみてください。
例えばその人を嫌いな理由がねちっこくて細かいからだとします。
人のミスをネチネチしつこく注意してくるのでめちゃくちゃウザい。
こういう人がいると変に気を張って疲れますし、わかってることをいちいち注意されても面倒くさいですよね?
ですが、それは嫌いな理由にはならないのです。
sponsord link
なぜかと言うと、ねちっこくてしつこい性格は、裏を返せば慎重で洞察力が鋭く場を引き締めることでもあるからです。
ネチネチ言われる人にとっては面倒くさくても、そのグループにとってはこういった人がいることでグループ全体を高めることにつながります。
その結果グループを取り仕切っている人からすると、嫌いな人どころか非常に助かる人材ですよね。
逆におおらかで細かいことは気にしない人がいたとします。
こういった人はミスをしても怒らないため優しくていい人に思えるかもしれません。
しかしその反面大雑把で適当であるとも言え、詰めが甘くなってしまいます。
このように物事にはそれぞれ良い面と悪い面があり、好きとか嫌いと言う感情も本当は理由なんかないのです。
同じ優しい人でも、その人を好きなら優しい人、その人が嫌いなら優柔不断で頼りない人となり、優しいから好きと言うわけではなく好きだから優しいと感じていると言った方が正しい状態だと言えます。
ですから嫌いな人を嫌いな理由なんか探せば余るほど出てきます。
そのため嫌いな人を好きになろうとすることは理由から入っていては難しいと思います。
嫌いを好きに変えるためには、あなたの価値観を変える大きな何かが必要です。
それは時がたてば変わるのか、それとも生死をさまようような経験によって変わるのか。
いずれにせよ自分にとってかなり大きなことがなければ変わりません。
好きを嫌いにするのも、嫌いを好きにするのも容易なことではありませんので無理に変えようとしない方が良いのではないかと思います。
そんな労力を使うよりは今ある価値観を把握して楽しむことを重視してみてはいかがでしょうか。
人はなぜか好きなことよりも自ら嫌いなことを考え嫌な気持ちになろうとしますからね。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
sponsord link
コメント