人は他人に優しさを求めるのに優しさを与えられない

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コラム
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よく都会は人が冷たいとか田舎は人が暖かいなど、人は他人に優しさを求めます。

地域の人とあいさつをしたり人とのつながりを求めますがそれがなかなかできません。

それにはいろんな理由がありますが、理由はどうあれ人に優しくすることができなければ人から優しくされることも難しいのではないかと思います。

例えば電車でお年寄りや妊婦さんなどに席を譲る人は、昔足を怪我したときに誰かに席を譲ってもらったり優しくされたことから自分も誰かが困っているのを見たときに親切にするようになることがあります。

他にも行き先がわからず迷っているときに道を教えてくれたことがきっかけで、道を迷っている人を見かけたら自分から声をかけて教えてあげるようになったりします。

ですが、何もない人がいきなり他人に優しくするのはなかなかできるものではありません。

人はみんな良い人ばかりではありませんし、親切にしたつもりが相手によっては逆にありがた迷惑だったりもします。

それに人に親切にしたからといってメリットがないこともあります。

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これが仕事ならお金をいただいてやっていることなのですから明確なメリットがあるのですが、仕事ではなくなおかつ知らない人に親切にすることは目に見えるメリットがなくて、それどころか逆に迷惑がられたりするなどデメリットになることだってあるのです。

そういったいろんな理由から人は他人に対して親切にすることはなかなか難しいと言えます。

しかし、多くの人は他人に優しさを求めます。

私もみんなが親切な世の中だったら良いなとは思いますが、人にはそれぞれ事情があって親切にできないこともあります。

それは自分だって同じです。

常に親切にすることを心がけていてもどうしても親切にすることができないこともあります。

そもそも1日に1回でも人に親切にすることはあるのでしょうか?

科学的な根拠は乏しいですが、私は因果応報、自業自得という言葉を信じています。

自分がしてきたことはいつか自分に返ってきて、それを気付くかどうかは別として何らかの形で返ってくるものだと思っています。

ですからもし人からの優しさを求めるのであれば、まずするべきことは人に優しくすることなのではないかと思います。

最近の若者は冷たいとか、都会は冷たい、最近の世の中は悪い人ばかりなどと嘆いて警戒するばかりでは人から優しくされることも少なくなってしまうのではないでしょうか。

というよりも親切にされても気付きにくい状態なのかもしれません。

本当は世の中にはたくさんの優しさがあります。

席を譲る時に言葉にして譲る人もいれば、照れ屋で言えないから降りるふりをして席を立つ人もいます。

車いすの人を見て知らないふりをしていてもその人が越えられない坂や段差で困っている時いつでも手を貸せるように目を配っている人もいます。

親切や優しさって直接言葉にしたり行動するだけがそうじゃないと思うんですね。

犯罪にも未遂に終わることってありますが、親切にも未遂に終わることがあると思うんです。

これは心当たりがある人もいるのではないでしょうか。

実際に行動したかどうかは別として恐らく1度はみなさん考えたことはあると思います。

もしそのようなことがあるのならきっといつか自分に対して優しくしてくれる人や親切にしてくれる方が表れるはずです。

それは目に見えるものではないかもしれませんし、自分では全く認識しないかもしれません。

ですが探せば優しさは都会でも田舎でもどこにでもあると思いますよ。

そしてそれに気が付くことができたのなら自分でも誰かに親切にしたりやさしくしてあげてください。

それではまた。

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