先日起きた「ALS患者安楽死事件」がネットを中心に賛否両論巻き起こっています。
安楽死はスイスなど一部国や地域以外では認められていません。
ALSなどの難病や寝たきりの状態でいる人など、本人が望んでいる場合もあって一概に悪とは言い切れないことでもあります。
しかし安楽死を認めることには様々な問題があります。
特に問題なのは、国が認めることによって障害を持つ人や持病を持つ人への圧力になることが、よく考えられている問題なのかなと思います。
個人的には条件によってはありなのかなとは思いますが、一体なぜ安楽死がタブー的に見られているのか、そもそも安楽死とはなんなのでしょうか。
安楽死がタブー化されているのはなぜ?
ご自身やご家族など周りに重い病気で苦しんでいらっしゃる人や、事故などで重度の後遺症や障害をおってしまった人は少なからず安楽死について考えたことはあるのではないかと思います。
でも安楽死は世間的な風潮としてはタブー化されています。
なぜなら、安楽死とは言い方を変えると自殺ほう助とも言えることで、ある意味死をサポートするようなことだからです。
それともうひとつ、ナチスがかつて行ったユダヤ人大虐殺の歴史からタブー化されているのではないかと思います。
安楽死とは
そもそも安楽死とはなんなのでしょうか。
Wikiにはこのようにあります。
安楽死(あんらくし、英語: euthanasia)とは、人または動物に苦痛を与えずに死に至らせることである。一般的に、終末期患者に対する医療上の処遇を意味して表現される。
引用:Wikipedia
こちらを見ていただいてみてわかるように、安楽死とはそもそも末期患者が対象となっていて、あくまで最終手段としてのもの。
病気や事故などで治療の施しようがない状態の方が、せめて苦しまずに天国へと旅立てるようにとおこなうことなのです。
しかし、個人的には「重度の障害を持つ人」や「医療保険のきかない難病を抱える人」など、必ずしも末期患者に限らない意味で使われているように思います。
積極的安楽死・消極的安楽死とは
安楽死には2つのケースがあります。
- 積極的安楽死
- 消極的安楽死
積極的安楽死とは医師などが薬物などを用意してサポートするタイプのもの。
消極的安楽死とは延命治療などを行わず生きるサポートをしないタイプのもの。
一般的には積極的安楽死の方をイメージされると思いますが、安楽死が認められていない日本でも、消極的安楽死は患者やご家族が選ぶケースもあるのではないでしょうか。
安楽死と尊厳死の違い
安楽死と似た言葉に尊厳死というものがあります。
明確な違いというのはないみたいなので、使う人によって意味が異なる場合がありますが、一般的には
- 安楽死は積極的安楽死のこと
- 尊厳死は消極的安楽死のこと
という風に使い分けされているみたいです。
医師や安楽死が認められている国などの場合は
- 安楽死は終末期ではない人
- 尊厳死は終末期の人
という風に考えられているようです。
ALS安楽死事件に関しては「安楽死」と言われていますが、どういうつもりでやったのかはわかりませんが、今回お亡くなりになった患者さんの感覚としては「尊厳死」だったのかもしれません。
高須院長は「ご本人が望まれたのは尊厳死だと思います」と、安楽死の可能性を否定。「僕にはALSの女性の気持ちがわかります。苦しさから逃れる安楽死とカテゴリーが少し違うように感じます」と持論を述べた。
引用:https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2007846/
賛成派と反対派の視点の違い
賛成派の人と反対派の人は、未来に希望をみているか絶望をみているかの違いがあるのかなと思います。
人によって価値観はさまざまで希望や絶望も人それぞれです。
延命することが希望になる人もいれば、逆に絶望になる人もいると思いますので必ずしも延命治療が良いかと言われると難しいところです。
このように安楽死といっても見ている視点によって意見は分かれると思います。
賛成派の場合
亡くなる数日前まで意識がはっきりとしており、酷い苦痛で苦しんでいた患者さん。
早く死にたい、殺してほしい、本人が望んでいるのに何故死なせてもらえないんだ…と、呟いていました。
穏やかな患者さんで、いつもスタッフに感謝の言葉をかけてくれる人だっただけに、見ていてなお辛かった。
治る見込みがなく、苦痛ばかりで本人が望むなら早く楽にさせてあげることも悪くは無いと思います。
安楽死に関しては表立っては言えないものの、賛成派も少なくないのかなといった印象です。
やはり重度の病気や障害を持つ人などの中には、これからの人生を楽しく幸せに暮らせない、つらいと考える人もいると思います。
後ろ向きな考えからそう思う人ばかりではなく、中にはもう十分だと思ってこれ以上の治療は望まない方もいるのかもしれません。
反対派の場合
「悪用されそうな気がする。」
「生を無理矢理求めるつもりはないが、与えられた生命を縮めようとは思わない。自然を最期を迎えたい。」
「自身の意識の中では有ってもよいと思いますが、法制化の上で検討するべき事が多いとおもいます。」
「積極的安楽死は問題が多いと思います。延命治療をしない消極的安楽死(≒尊厳死)は選択できたほうがよいと思いますが、そうすべきだという強制の風潮をつくってはいけないと思います。」
一方で反対派の人も当然います。
安楽死は言い方を変えると自殺ほう助だと言いましたが、それはつまり自死を選ぶということになります。
どのような形であれ自ら死を選ぶということは大変悲しいことで、あってはならないことだと思います。
それに安楽死が認められることで考えが流されてしまう危険性など、さまざまな問題もあると思いますので、簡単には賛成できないと考える人の方が多いのではないでしょうか。
安楽死を認めている国・認めていない国
安楽死は日本を含めほとんどが認めていないのですが、一部国や地域では認めている場合もあります。
安楽死を認めている国や地域は以下の8国。
オランダ・オーストラリア
カナダ・ルクセンブルク・韓国
アメリカとオーストラリアは一部州のみ認めています。
中でも特に有名なのはスイスです。
スイスでは国内のみならず海外からの受け入れも行っていて、海外から安楽死を求めてスイスに来ることを「安楽死ツーリスト」などと言われていたりもします。
アメリカでは認めているのは一部の州ですが、アメリカ国内で当時まだ認められていなかったカリフォルニア州からオレゴン州に移住し、安楽死を遂げたことがニュースとなり大きな話題となったようです。
認めている国には事情がある
安楽死を認めている地域や国でも反対派はもちろんいるでしょうし、賛成する理由もまたいろいろあるのだと思います。
安楽死が認められるようになったきっかけには、1971年に起きた「ポストマ医師安楽死事件」が背景にあると言われています。
脳溢血で半身まひの78歳の母親が、娘のポストマ女医に「私の終末を手助けして欲しい」と懇願。致死量のモルヒネ投与を頼み、死亡した事件である。
引用: 日本でタブー視される「死のあり方」 – DIAMOND online
2019年11月30日に亡くなったALSの患者さんを安楽死させたとして問題になっている「ALS患者安楽死事件」は自殺教唆や殺人などの罪を問われることとなっていますが、ポストマ事件も当時嘱託殺人(嘱託=しょくたく)として起訴されています。
どちらも患者本人の希望によるもので、耐えがたい苦しみや絶望感に苛まれていたということから少し似たケースにみえます。
しかし、ポストマ事件の場合は医師である娘がしたことですが、ALS患者安楽死事件は家族や知人ではなく、この患者さんの担当医でもないことなどから事件内容は似て非なるものなのかなとも思います。
安楽死を認めることは危険なのか
賛否両論あると思いますが、安楽死を認めることはかなり難しいことだと思います。
どう線引きするのか、本当に本人の意思なのか、他の選択肢はないのか、客観的でありながらも本人の意思を尊重して判断しなければなりません。
危険性については実はそんなに高くなさそうな印象を受けました。
なぜかというと、スイスの場合だとご本人とご家族の相談のもと
- 「自殺幇助団体への会員登録」
- 「動機の説明」
- 「医師の診断書」
- 「面談」
などが必要となります。
「本人の意思確認」と「どうして安楽死を選ばなければならないのか」理由をきちんと話をしたうえで許可されるかどうか決まります。
つまり「末期状態でなくても受けることはできるが、それなりの理由が必要」ということです。
生死にかかわることですから当然簡単ではありません。
あくまでご本人の権利を尊重したものなので、危険なものというわけではないのかなといった印象です。
コスト問題による薬物の質のリスク
安楽死に主に使用されてきた薬Secobarbitalの価格が高騰したため、それに代わる混合薬が登場したのだが、その混合薬を服用した患者の中には、叫ぶほどの激痛を訴えたり、亡くなるまで最長31時間もかかったりする者が現れたのだ。通常、安楽死のための薬を服用した患者は、10~20分で昏睡状態に入り、4時間以内に死を迎えることが多いというから、信じられないほどの長さである。
引用:https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20190801-00122816/
安楽死というからには安らかに眠るように亡くなるのだろうと思うところですが、コスト問題による薬品の変更などによって恐ろしい苦痛を伴うケースが出ています。
こういったケースもあるので安楽死を容易に認めることはできないところです。
優性思想や汚職などのリスクはある
優生学(ゆうせいがく、英: eugenics)は、応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される。
引用:Wikipedia
いわゆる優生思想的な考えを持つ人間など、偏見のある人が関わるリスクがあります。
今回のALS患者安楽死事件についても「優性思想」が問題視されていて、ナチスのように選民意識を持って安楽死させる危険性はないとは言い切れません。
国や自治体などが管轄するならそのようなリスクも少なくなるかもしれないですが、その代わり汚職などのリスクはあると思います。
同調圧力などによる自殺教唆の危険性は少なくても別のリスクがあるので、多くの国では認められていないのではないかと思います。
頭ごなしに否定するのは良くない
安楽死にしても自殺にしても、なにか理由があって選択することです。
問題なのは「どこにも相談できる場所がなくて、誰にも相談できない状況」だと思いますので、頭ごなしに否定するのはよくないと思います。
原因を解決する方法があるならそれを教えてあげることが大事で、ただ頭ごなしにダメだと否定することこそ、その人を否定する考えとなります。
ここで必要なのは否定ではなく、どうすればいいのか寄り添うことが必要なのではないでしょうか。
生きることがつらくなったら
日本では安楽死は認められていませんが、国をあげて相談窓口などの悩む人に寄り添う姿勢は少なからずとも持っています。
電話相談はとても勇気が必要ですが最近ではSNSで相談することもできるので、周りに相談できる人がいなくても、誰も頼れる人がいなくても、国や自治体、NPO団体などを頼ってみるのも選択肢としてあるのかなと思います。
相談したって無駄だと思う方もいるかもしれないですが、もしかしたら受けられる制度があるかもしれませんので、相談してみるのもありなのかもしれません。
安楽死の是非
安楽死が正しいことなのか間違っていることなのかはとても難しいです。
理屈としては是だと思っていても、感情としてはなかなか受け入れられないことでもあります。
ただひとつだけ言えることとしては、日本人にもスイスに行って安楽死を遂げた人はいるということ。
できることなら健康で長生きしたいと思う人は多いと思いますが、それと同時にやすらかな最後をのぞむ人も多いのではないでしょうか。
どちらが良い、どちらがダメだと一概に決めつけることは難しいことではありますが、難病と言われる病気や障害なども回復し、みんなが幸せであれるような世界であればいいなと切に願います。
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