冬の3大イベントについて思う事

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人生
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もう気がつけば10月末になり、だんだん冬が近づく足音が聞こえてきています。
みなさんは冬と言えばあれだよねと思う何かってありますか?
それぞれ冬のイメージと言えばこのイベントだよねと思い浮かべるのは違うと思います。

しかし、あなたはそのイベントに踊らされてはいませんか?
今回は冬の3大イベントについてお話したいと思います。

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・私調べ冬と言えばこれ!冬にしたい3大イベントについて思う事

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1:クリスマス

最初はべたにクリスマスから紹介します。
クリスマスと言えば一般的に、カップルや家族のためのイベントと言うイメージがあり、恋人のいない人や、子供やまだ結婚していない人などは疎外感を感じるイベントの1つだと思います。

確かに恋人と過ごすのもロマンチックで、イルミネーションや雪が降るホワイトクリスマスなど、カップルには最高のイベントだと言えるでしょう。
しかし、意外と知られていませんが、クリスマスに出歩いている男女は、みんながカップルと言うわけではありません。

クリスマス間近になると、恋人のいない人は周りにカップルが増え、なんだか居づらい雰囲気を味わうと思います。
しかし、それって自意識過剰なだけかもしれません。

あなたの周りには、恋人がいる人、恋人がいない人どれぐらいいますか?
ほとんどの友達が交際中もしくは既婚者であると言う方もいるかもしれませんが、自分が思っているほど、世間にはカップルが多くはありません。

友人をはじめ、兄弟などの家族、年の近い親戚・いとこ、会社の同僚や上司などの仕事関係の人、その他周りの人達を思い浮かべてみて、相手がいると言う人がどれ程いるでしょうか。

改めて聞いてみると、意外に自分が思っているほど恋人のいない人は多いのです。
つまり、クリスマス前になると、男女ともに恋人がいないと焦りだし、自分だけ相手がいないんじゃないかと疎外感を感じますが、それってただの自意識過剰で、クリスマス間近に歩いている男女の中にはカップルもいますが、単に恋人がいない同士の中の良い異性の友達だったり、会社や学校の友人、兄妹やいとこなどの家族など、異性と歩いていると言うだけで、カップルに見えてしまい、自分に恋人がいない事をひけめに感じている事で、より強調されて見えているだけだと言えます。

中には、クリスマスに1人でいたくないからと言う理由で、好きでもない相手と付き合ったり、出会い系などを通して無理やり相手を作る人もいます。
それで本人が良いと言うのであれば問題ありあせんが、こう言った人達は、企業や国が作り出した勝手なイメージに踊らされ、操られているとも言えます。

その1つに、クリスマスと言うだけで半端じゃない経済効果があります。
クリスマスプレゼントだと言い、子供が欲しがっているおもちゃやゲームなどのプレゼントや、恋人同士でプレゼントを交換するなど何か物を買う事や、家族で食事したりしたり恋人と食事に行くなど外食にお金を使います。
さらに、ディズニーリゾートなど奮発していいホテルに泊まるなど、数えればたくさん出てきます。

国はこう言った消費活動を盛んにし、税金はもちろん、消費が増える事による生産を上げる事やぶっちゃけると出生率をあわよくば上げようと考えてクリスマスは子供のいる家庭や、それに連なる可能性のあるカップルなどが中心としたイベントのように印象付けたのではないかと思います。

少し長くなりましたが、クリスマス=恋人と言う図式は、お金儲けの一環や国が豊かになるために作られた側面を持つと言う事です。
その誰かに作られたものに踊らされ、恋人がいない事をひけめに感じる事や、焦る事はとても愚かな行為だと言えます。

言ってしまえば、クリスマスもその辺のクラブのイベントも何ら変わりはありません。
どちらもあくまでイベントであり、消費活動を盛んにするための一手なのです。
クラブのイベントや、歌手のライブなどに参加できない事が言う程辛い事ですか?

ハロウィンのイベントにコスプレしなければ幸せな人生ではないと思いますか?
クリスマスに関しても、大きさや認知度の違いはあれど根本は同じです。
昔はキリストの生誕祭だったかもしれませんが、キリスト教信者以外には、単なるお祭りの1種でしかありません。

それでも恋人がいなければいけないと思うのは、ある意味良質な国民だと言えます。
なぜなら非常に扱いやすく、国を豊かにしてくれる存在ですから。

2:バレンタインデー・ホワイトデー

クリスマスと同じく、これも作られたイベントが発展して大きくなったパターンです。
少し違うのは、クリスマスがキリストの生誕祭なのに対し、バレンタインもホワイトデーもただの経済を活性化するために打ち立てられたイベントの1つです。

こちらは割と誰でも知っている事だとは思いますが、それでもあまりに社会に浸透してしまったので、半ば強制的なイベントのようになって来ているように感じます。
そのため、だんだん消費量が落ちてきていたのか、数年前から「友チョコ」なる新しいバレンタインのあり方を提示してきました、一般的にはバレンタインには女性から男性にチョコレートを贈る事で、ホワイトデーはその逆で男性が女性に贈る事でした。

それが世間にも作られたイベントだと認知されたからか、少しづつ廃れ始めていき、これは不味いと「友チョコ」と言う新しいバレンタインのモデルを生み出したのではないかと推測します。

これによる経済効果はどれほどあったのかはわかりませんが、恐らくいい結果だったのではないかと思います。
本来チョコレートなどのスイーツは、男性よりも女性に好まれる傾向があります。
女性から男性に渡すよりも、女性同士で交換し合えば売れる個数も増えるのではないでしょうか。

女性から男性に渡す場合ですと、渡さないと言う選択肢もあったのが、女性同士で渡し合う事で、購入予定のなかった女性同士が購入する可能性があり、間口を広げた事で単純に倍近くの効果があったと考える事ができます。
そして友チョコが広まる事で、本来は男性が「お返し」として購入していたホワイトデーにも女性同士でお返しし合う事が予測されます。

スイーツが好きな女性であればなおさらそうです。
バレンタインやホワイトデーに売っているチョコレートは、普段売っている物と違い、高級なものです。
本当は食べたいけど、自分用に買うのはちょっと恥ずかしいと言う気持ちもあったかもしれません。
でも人からもらった物なら、贈り物だと言う事実から食べるための口実を作る事ができます。

そのため、私個人としては友チョコにシフトしていった業界の選択は成功したと考えます。
こちらの場合上げる恋人がいないと嘆き、無理やり相手を作るなどのアホな事をする人はほとんどいないと思うので、単純な消費活動の一環だと言えるでしょ言う。

3:お正月

最後に正月についてですが、私は昔から正月に「あけましておめでとうございます」と言う挨拶に違和感を覚えます。
12月31日からただ単に1月1日に日付が変わり、2015年から2016年に変わっただけで、何がめでたいんだと思ってしまいます。

戦時中や、大昔の人は、今よりも医療が発達しておらず今では考えられない病気で亡くなる人も少なくありません。
人死にが身近にあり、新年を迎える事が簡単な事ではなかったのかもしれません。
そのため「あけましておめでとうございます」と挨拶を交わす事はおかしなことではなかったのでしょう。

しかし、現代はどうでしょうか、難病を抱える人や大病を患っている人、日本ではありませんが、イラクなどの中東に取材に行く人達や戦場カメラマンなどの人達は新年を迎える事がありがたい事だと実感する事ができるのはわかりますが、そう言った人々は新年でなくとも明日生きている事も感謝しています。

12月31日から1月1日に日付が変わったからめでたいと思っているわけではありません。
日々の生活や明日が来ることがめでたい事なのです。
つまり正月がめでたいわけではないと言う事です。

本当にお正月がめでたいとお考えなら、毎日の生活もめでたいと考えるべき事です。
それをしていると言うなら問題ありませんが、もしお正月だけめでたい気になっているのならそれは周りに流されているだけです。

上記のクリスマスやバレンタインデーなどの消費活動を活性化させるイベントに踊らされ、自分が必要のない消費や、本当にしたい事や思っている事を見失いいずれ後悔する事となるでしょう。

後悔したくないのなら、ちゃんと自分の気持ちや考えを見失わずに、しっかり自分と向き合い自分の事を理解するように努めましょう。
自分が自分を1番知っているとお考えの人は少なくないですが、その1番知っている自分ですら自分の事を全部知っているわけではありません。

だからこそ世の中には占いや心理テストなどが人気で、映画や本を読んだり、何かのきっかけで知らなかった自分を知る事があるのです。
これらが示しているのは本当は自分で自分の事を全部把握していないのを現わしています。
本当に自分を理解しているのなら新しい自分の側面を見付ける事はあり得ません。
心理テストや占いも、お金を払ってまでしようとは思いません。

単に自分を知りたいと本当は思っているからそれらを手にして、新たな側面に気が付くのではないでしょうか。
本当はわかっているはずなのです。
それを見ようとしていないのは自分自身です。
それに気づかぬ限りは何かに振り回され、何かに依存してしまう事でしょう。

・おわりに

以上が冬の3大イベントについての個人的な印象です。
かなり偏った意見なため、全く共感できない人や自分を悪く言われているように感じあまり良い気がしない人もいるかもしれません。

そう言った方はここまで読む事は無いとは思いますが、ここまで読んだあなたは少なからず共感を覚えているか、何かを感じ読み進めてきた方でしょう。
あなたは何を思いこの記事を読んだのでしょうか。
何を感じここまで読み進めたのでしょうか。

それを知るのはあなたしかいません。
それが気になるのなら、あなたは自分を見据える事ができていると言えるでしょう。
私や人から学ぶこともあるかもしれませんが、それは実はあなた自身がそう考えているから心に響くのです。

つまり自分と向き合う事ができているとも言えるのではないでしょうか。
自分と向き合えていない人は、私の言う事に限らず、人から何かを言われる事、人から学ぶ事がありません。
それどころか、人の意見に反対する事でしょう。
人が誰かの何かに批判する時、それは本当は自分が我慢している事や隠していた心を刺激されたからです。

そうやって他人に批判を浴びせる事は、自分を認められていない、つまり自分を見れていないと言う事です。
このような人には誰が何を言ってもそれを知ろうとする気持ちや、考え方が固くなっているため、よほどのことがない限り理解する事は難しいでしょう。

ですがそう言った人は人に話す事ができない、もしくは話を聴いてくれる人がいないのでしょう。
人は人に話す事で、自分の考えをまとめていきます
人に話しているように見せかけて本当は自分に語り掛けているのです。

そうして人は自分の事を理解していきます。
さて少し長くなってしまいましたが、今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

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