人見知りでコミュ障だった私が変わるきっかけになったこと

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コラム
この記事は約8分で読めます。

少し自分語りが多いですがよければ聞いてください。

以前人見知りについて語ったことがありますが、その記事でも話したように私自身人見知りが強く、むしろ人が嫌いだと思うほど重症でした。

そんな人嫌いでコミュ障な私がなぜバーテンダーやカウンセラーと言うコミュニケーションが必須な職業をし、どうやって変わったのかを今回はお話したいと思います。

当時の私は、自分が人見知りだと言うことを隠し、否定して生きていました。
自分は人になびかない一匹狼を気どり、「自分は人見知りなんかじゃない人が嫌いなだけだ」と言い、自分を肯定しているようで自分を否定し続けていました。

そのころはコミュニケーションが苦手で、人と何を話していいのかわからずとにかくバーテンダーとしての技術、雑用などを積極的にして、必要以上に話はせず何か作業をすることに力を入れていました。

私がバーテンダーになろうと思った理由は、当時読んだバーテンダーと言うマンガに影響され、人は言葉はなくても人を癒したり勇気づけることができると言うことに感動し、口ではなく行動で何かを示せる人になりたいと思っていました。

確かに行動で示せることもありますが、現実はそんなに簡単ではありません。
バーテンダーとしての技術や作業ばかりしていても、人は癒せません。
しかし人見知りでコミュ障な私は、人と話す事が苦手です。

そんな私は人の話を聴くことしかできませんでした。
全然話さない私は、影の薄いフォロー役として仕事をしていたのですが、あるお客さんはあまりグイグイ来られても疲れるからあなたのように近からず遠からずの距離でいてくれるのはすごくいいことだと言われたのが最初のきっかけでした。

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話さなくても人は癒される

この時私は話をする事が重要ではないことを証明するために、心理学の本などを読み話したい雰囲気やその人のツボを心理的に分析できればいいのではないかと仮説を立て行動するようにしました。

もちろん最初はもとがコミュ障ですから会話に入るタイミングや、会話を終えるタイミングが計れず全然ダメでした。
しかし月日を重ねるにつれ、私のような者にも会いに来てくださるお客さんが少なからずいました。

それからも試行錯誤を重ね、心理学を学んだりそれを実践したりしていましたが、バーでの仕事はこう言ったお客さんだけではありません。

カッコつけた成金のようなお客さんとその連れのキャバ嬢やホステスなども多く、そのようなお客さんの中には態度のでかい人も少なくありませんでした。

それだけに止まらず、バーでの仕事は「不倫・浮気」など様々な人の汚い側面を見せました。
そんな中私の心は限界で、「なんでこんなやつが」「なんでこんなことするんだ」なんでだ、なんでだと考えるうちに、本当に人が嫌いになっていったのです。

そしてバーテンダーと言う職業から一度離れてみることを決意します。
人を癒す仕事がしたいのは変わらずあったので、いろいろ考えて探した結果、女性客やスタッフの多いカフェで働くことにしました。

そこでならウザいカッコつけの客や人の汚い面を見なくて済むだろうと言う思いと、男性はあまり人に弱みを見せたがりません。そのため女性の方がより素直に癒しを求めると思い学ぶ事や試す事も多いだろうと考えました。

カフェでは接客も一言二言程度なので、行動で人を癒すことに執着していた私にとってはうってつけの仕事でした。
そこでもいろんな本を読み、いろんな経験をしてたくさんの事を学び少なからずのファンもできました。

しかし、ここでも嫌な客はいました。
このころも人嫌いが直ってなかった私はイライラしたり何かのせいにして、ここがこうだから悪い、ああだから悪いと自分のことを棚に上げ、何かのせいにばかりしていました。

そんなときに出会ったのがユング心理学でした。

ユング心理学で学んだ嫌いなことは自分が嫌いな自分だと言うこと

このブログでもユング心理学についてはいくつか記事にして紹介していますが、私にとってこ心理学はとても衝撃でした。

今まで「あいつむかつく」「あいつのここが嫌だ」などと人を批判ばかりしていましたが、よくよく考えてみると自分が我慢していることや、自分がダメだと思い込んでいることをしている人のことを私は嫌いだと言っているのに気がつきました。

みなさんにも思い当たる節がありませんか?

例えば私の場合、チャラチャラしてて女好きの軽い男が特に嫌いで、カッコつけや女をはべらかしている人がとても嫌でしたが、私は本当は女性に好かれたいのを我慢し、硬派な男こそ1番だと勝手にそれを美化していたのではないかと言うことに気がつきました。

女性に誠実でまじめでなければならないと勝手に固定観念を作り、それに反する人を嫌いだと批判していたのです。
それと同時に、行動で癒すことに執着していた私はこれをきっかけに、本当はもっと積極的に人と接してみるのもいいのではないかと考えるようになりました。

そんな時出会ったのが原始仏教と言われる最初の仏教。
ブッダの教えでした。

ブッダの教えから学んだこと

原始仏教は一般的な宗教と違い、幸せになるためのものではありません。
と言うのも、ブッダの教えではものごとに執着するのをやめ、善も悪も生も死もそれに執着するからこそ負の感情は生まれると言う教えでした。

つまり幸せになりたいと言う願いや、生きたいと言う願いが人を不幸にし、このような執着やこだわりが苦しみを生み出す原因となっていると言うのです。

これにも驚き影響されました、これとユング心理学は同じような事を言っていたからです。
人が嫌い嫌だと感じるのは、自分が嫌だと思っていることをその人がしているから嫌いなのだと言うのは、仏教的に言えば、自分が嫌だと思うことに執着しこだわっているから苦しみを生み出していると言っているのです。

そのとき知ったのですがそれもそのはず、ユング自体仏教的思想を持つ心理学者だったのです。
ここまでの事を少し整理しますと、自分が嫌だと思っているものは、自分がそれに執着しているからであり、それを他人を通して見ることでその人が嫌いだと思っている。

つまり私が人見知りでコミュ障なのは、勝手に自分が作り上げた固定観念やこだわりによってできたものだと言うことなのです。

人見知りは自分が他人を気にしすぎているからで、人から嫌われたくないがゆえに人を遠ざけてしまっているのです。
コミュニケーションが苦手なのも同じで、人に嫌われたくないのを意識するあまりコミュニケーションが取りづらくなっているだけなのです。

人見知りのコミュ障から変われたのは、本当は人が好きで人に嫌われたくないだけなんだと気付いたから

それからは自分が思っていることのほとんどが、自分で作り上げた勝手な先入観、固定観念だと気付き、いかに自分がしょうもなく小さな器だったのか知りました。

そして、自分にはできないと思っていることやまだ早いなどと考えていることが、ただ単にしたくないことやビビっているだけなんだと知りました。

ですがこのようなことが悪いのではありません。
自分の殻に閉じこもるのは、これ以上傷つきたくないからです。
無理にその殻を破っては立ち直れないほどの傷を負うことになるかもしれません。

あなたが傷つくことを恐れるのは、これ以上傷つくと危険だと判断したからなのかもしれません。
あなたがそこから抜け出せないのは、今がベストだと思っているのかもしれません。、

それが悪いかどうかを決めるのは、全部自分です。
他人が決めることではありません。
ですが、あなた自身がそれを変えたいやめたいと考えるなら、少しずつでいいので、自分を認めてみてはいかがでしょうか。

私がそうしたように、自分の本当の気持ちや小ささを知ってそれを認める。
それだけで景色はかなり違って見えるものです。

考え方が変わってから景色が変わったと言う言葉を聞いたことはありますか?
あれって正直嘘くさいと思ってましたが、実際に世界の見え方が本当に変わりました。

これが実は1年以内の話です。
去年の12月頃から3月頃にかけて一気に知ったことです。

おわりに

それからの私は、これを誰かに伝えたい、自分と同じように悩んでいる人はいるはずだと考え、どうやってそうすればいいのかと考えました。

カフェやバーを開いてお客さんに話していくのもいい、しかしそれではただの自分語りやおせっかいになってしまい、誰も耳を傾けてはくれないでしょう。

とは言え私が持っている技術は接客か簡単な料理、カクテルなどの技術ぐらいなものです。
どうしたもんかと考えた結果、まずはカウンセラーをすればいいのではないかと考えました。

それからカフェなどのお店を開き、そこにカウンセリングルームを設けて二束わらじのお店にすれば、自分のしたいことやできることが両立できるのではないかと考えました。

それでこのブログは生まれました。
あなたが見ているこのブログは、あなたには興味のない事ではあると思いますが、私の密かな夢が詰まっているのです。

時にはくだらない記事、時には言ってることがちんぷんかんぷんな記事など、言いたいことが上手く吐き出せずにやっているブログではありますが、たくさんの人に見てもらい、たくさんの人の悩みを解決する助けとなるため私はここで話し続けているのです。

今回はいつもよりも自分語りが多めな記事でしたが、いかがでしたか?
少しは役に立ちましたでしょうか。

もし少しでもあなたの心に響いたのなら、私は嬉しく思います。
弱小ブログで、弱小カウンセラーではありますが、ちょっとでも人の役に立てればやってきたかいがあると言うものです。

最近アップした記事で、松岡修造の名言を投稿しましたが、その中に今の私を現す言葉があります。

「僕が偉そうに話してることは全て、これまで僕ができなかったこと」

今でも私は至らない部分が多々あります。
それでも以前の私よりもちょっとぐらいは良くなっていて、今回の話のように数年前になると大きく違うと胸を張って言えます。

おそらく数年前の私しか知らない人は、今の私を見て驚く事でしょう。
今回ここまで読んで下さったあなたも昨日のあなたよりも変わったのではないでしょうか。

少し長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今回のお話をこれにて終了です。
毎日更新しているのでまた良ければ見に来てください。ではまた。

今回の話に出た内容に関する記事はこちら

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コメント

  1. ありがとう より:

    ありがとう

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