辛いときに辛いと言えない風潮

sponsord link
人生
この記事は約3分で読めます。

辛いとき辛いって言えるだけでどんなに救われるでしょうか。
みなさんは辛いときや苦しいときに素直に言える環境にいますか?

家族や友人、恋人などに恵まれて素直に辛いと言える人は非常に幸運な方だと思います。

世の中では基本的に辛いときに辛いと言ってはいけない風潮があります。

仕事がキツく辛くても、歯を食いしばり我慢して耐えることが美しいとされ、辛いとか苦しいなどとこぼすと「根性がない」「グチグチ言うな」「弱音をはくな」「それを言ったところで状況は変わらない」などと言います。

確かに弱音をはいたところで状況が良くなるわけでもないし、言葉にすると辛さを認めてしまい飲み込まれそうになることもあるでしょう。

しかし、私は辛いときに辛いと言えないことこそが本当に「辛いこと」なのではないかと思います。

sponsord link



なぜならそれって本音を言えないと言うことですよね。
自分が本当に思っていることを言えず、我慢していなければならない。

それにはいろんな理由があるとは思います。
誰かに迷惑がかかることや、誰かを傷つけることもあるでしょう。

ただそうやって人のことばかり気にして、自分を犠牲にすることは果たして本当に良いことなのでしょうか。

海外ではどうなのかわかりませんが、日本人は「自己犠牲」することを神聖化している節があります。

自己犠牲とは、読んで字のごとく自分を犠牲にして他人のためになることを指す言葉です。

自分が我慢すれば誰かが幸せになるのならそれでもいいのかもしれません。しかし、多くの場合自己犠牲を良い風に捉えすぎて時に自分の感情を押し殺すことが素晴らしいことであると言うような考えが蔓延しているように感じます。

そうしていつしか「辛い」と言うことが、悪いことだと思うような風潮ができたのでしょう。

ですがその風潮、私は間違っていると思います。

人間に感情があるのは進化した結果のことです。
進化したからこそ生まれた感情が、悪いものであるとは思えません。

喜びも楽しみも怒りも哀しみも、全ての感情は必要だから生まれて、必要だから現代も備わったまま残り続けているのではないでしょうか。

時には我慢しなければならないこともあります。
タイミングや場所、相手によって感情をある程度コントロールしなければ人間関係がうまくいかず、生きづらい人生となる可能性が高くなるからです。

しかしそれが全てではありません。
感情は自分にとっても相手にとっても大事なものです。
辛いときに辛いと言うことも、あなたにとってとても重要なことなのです。

水は流れていないと腐ります。 あなたの感情も、流れがなければ腐ってしまいます。

辛いときには辛いと言い、悲しい時には涙を流す。
そうしていかなければ、あなたの心は淀み、荒み、腐ってしまいます。

現代はこのような風潮が影響してか、顔が見えないネット上で感情を爆発させる人が多くいます。

芸能人を叩いたり、政治家を叩いたり。
辛いときに辛いと言えない風潮が、何か別のものに八つ当たりしなければ自分を保っていられないほど荒み切っているのかもしれません。

これが原因なのかはわかりませんが、私は辛いときに辛いと言えないような風潮を悪しき習慣だと考えます。

辛いときに辛いと言えるような社会や人間関係を築いていくことが重要なのではないでしょうか。

そのために私を含めカウンセラーのような存在や、話をすることができる環境などをつくることが必要なのではないかと思います。

カウンセラーではなくても、素直に話せる環境で辛いときに辛いと言えるような未来になればと思います。

それでは今回はこれで以上です。
ではまた。

sponsord link



コメント

タイトルとURLをコピーしました