日本特有の風潮はたくさんありますが、その中でも私がいけ好かないのが「字が綺麗な人は頭が良くて、字が汚い人は頭が悪い」という風潮です。
字が綺麗だと読みやすいですし、シンプルに綺麗なものは芸術性を感じさせるのはわかりますが、字の綺麗さと頭の良さになんの関係性があるというのでしょうか。
しかし、逆に字が汚い方が本当は頭が良いんだという意見もあります。
結局どっちが正しいのかわかりませんしいろいろ腹立ってきたので、今回字が綺麗な人が頭が良いという風潮の理由と、反対に字が汚い方が頭が良いと言う意見を調べてみた結果をお話したいと思います。
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字が綺麗な方と汚い方のどちらが頭が良いのか
まず2つの主張がどのようなものなのか見ていきましょう。
字が綺麗派の主張
- たくさん勉強している
- 管理することや効率を考えるのが上手
- 空間把握能力が高い
- 読み返しやすいので復習する意欲がでる
- 真面目に取り組む姿勢がくみ取れる
というような感じです。
つまり、「真面目」「勤勉」「予習・復習を怠らない」「思考が整理されている」と言うような理由から、字が綺麗=頭が良いと言う風に主張されているようです。
では字が汚い方が頭が良いと言う主張を見てみましょう。
字が汚い派の主張
- 思考に筆が追い付かないほど回転が速い
- 字を書くのは覚えるためではなく思考を吐き出すためである
- そもそもノートは見直すものではない
つまり、頭の回転速度に手が追い付かないから字が汚くなり、字を書くことは自分の思考を形にするための行為に過ぎないと言う主張。
思考を形にするだけのための行いなので、字が綺麗である必要もなく読み返す必要もない。
というような感じです。
まとめると。
字が綺麗派は秀才タイプ
字が汚い派は天才タイプ
てな感じです。
しかし、どちらも字の綺麗さだけで語れるほど確実性の高いものではありません。
私はあんまり頭が良い方ではありませんが、字が汚いですし思考速度に筆が追い付かない経験に覚えがありますが、このザマです。
一方字が綺麗なのもただ言われたことをやっているだけの自分で考えて行動できないロボット野郎にありがちなことですから一概に字が綺麗=頭が良いと言うのは大げさな主張です。
これが仮に会社の言うことをハイハイ聞く都合のいいロボット野郎を求めているのであれば、字が綺麗な人=頭が良いと言う風にしておけばロボット野郎を量産することができると思われます。
最近字が汚い方が本当は頭が良いという主張がよく見受けられるのには、社会がロボット野郎を求めなくなってきたからなのかもしれません。
まあ私は字が汚いだけのアホなので実際どうなのかはわかりませんが、1つだけ確かなのは字の綺麗さで語れるほど人間の脳のことを誰もわかっちゃいないと言うことぐらいですかね。
もしかしたらこれからは字が汚いのを味があるとか趣のあるなどと言う風潮が生まれてくるのかもしれませんね。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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