今ホリエモンこと堀江貴文氏の話したことがネット上で話題となっています。
その記事がこちら
同記事にはブラック企業で働く人を例に。
「狭い世界にいると、人は「外へ逃げるのは負け」というプライドが働くようで、なかなか出ていこうとしない。」
とあります。
人は辛い環境や苦しいときに「逃げるのは負け」だと考えます。
当人もそうですが、周りの上司や同僚、家族や友人などもこのような考えを持つ場合が多く、キツイとか苦しいと言うと「みんなキツイ」「我慢して乗り越えろ」「これぐらいで根を上げるのか」などと言います。
実際はそこまできつい物言いをするわけではありませんが、悩みを人に話しても多くの場合「私もこんなことがあって」とか「それでもやらないといけない」などと言い、暗にそれが逃げであるかのように言うことがあります。
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しかし私は思うのですが、その逃げというのはそんなに悪いことなのでしょうか?
逃げちゃダメだとか逃げても何も変わらないなどと世間は言います。
確かに逃げてばかりいても自分が変わらなければ結局変わらないのもまた事実です。
ですが、逃げることで一度環境や感情をリセットし、それを気に変わることができるのではないでしょうか。
学校などでいじめられている子に対し、逃げていても変わらないと言うことは鼻くそほじるぐらい簡単です。
ただそれが本当に正しいのかやってみないとわかりません。
どちらが正しいかは私にはわかりませんが、そんな私でもわかるのは人生一回きりなのにわざわざ苦しい方へ導こうとする「逃げちゃダメ」という考えが、「何の役にも立たないプライド」だということです。
逃げないで耐え続け、苦しみながら生きるのが本当に良い人生なのでしょうか?
世の中の人はダメ人間だと言うかもしれませんが、結局人生楽しんだもの勝ちです。
人から何と言われようと辛いなら会社を辞めて派遣だったりフリーターをすればいい。
世の中の人は正社員をやたら神聖化していますが、死んだら正社員もニートも同じです。
正社員になっても死んだらなんの意味もないんですよ。
それなのにアホみたいに正社員と言う偽りの安定に幻想を抱き、正社員をクビになることを怯え、人生の半分以上をこき使われて死んでいくのが本当に良い人生だったと思えるのでしょうか。
安定を求めて結果精神が不安定になっているのなら、それは間違っているのではないでしょうか。
そうして苦労自慢をしている内はまだマシですが、いよいよ自慢もできないほど苦しんで最終的には自殺を考える人もいます。
私は、逃げてはいけないという言葉は死んではいけないということなのだと思います。
どんなに借金背負っても、どんなに人から笑われても、生きてさえいればどうにかしようもあります。
しかし、死んでしまったらもうどうしようもないのです。
本当に何も変わらないのは死ぬことなのです。
「生きてるだけで丸儲け」と言う言葉があります。
生きるということは辛いこともたくさんありますが、その分良いことも少なからずあるはずです。
辛いなら辛い場所から移動すればいいですし、苦しいなら苦しいことを止めればいいのです。
私もそうでしたがブラック企業などで苦しんでいる人に限って変なプライドばかりが高くそれができません。
そんな何の役にも立たないプライドは捨てた方がいいですよ。
無価値どころかそれは負債なのですから。
それではまた。
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コメント
逃げる事を良しとするなら、真の逃げの自殺も肯定して欲しい。
自殺はいけないという風潮が理解できない。
人生楽しんだもん勝ちだと
私も思う。だからこそ、
生きる苦しみから解放される死は楽の極み、極楽。
早くそこへ逃げたいと思うのは、人間として当然の欲求だと思う。
家族がいる人だったら自分勝手な行為かもしれないが、
独り者で友達もいなかったら、人が全く来ない山奥とかで白骨になれば、肉は動物の餌になり、火葬の手間も省けて一石二鳥♪
コメントありがとうございます。
こちらは古い記事で今の私とは考え方が違う部分もあったので少々加筆修正致しました。
以前の記事では自殺は真の逃げだと表現しておりましたが、今は自殺は逃げというよりもむしろ人生の全てを賭けた最大の主張なのではないかと考えております。
他人にとってそれがどうなのかは別として、それほどに苦しい状況だった、通常では考えられないような行動を選んでしまうような状態だったということの表れだと思いますので、自殺を肯定することはできませんが頭ごなしに否定するだけなのもどうかと思うようになりました。
今も良いとは言えませんが、逃げというのとは少し違うのかもしれませんね。