集合的無意識の存在について考察

sponsord link
コラム
この記事は約3分で読めます。

集合的無意識とは、ユングが唱えた人には共通の概念があって無意識のさらに奥底には人種・性別問わず人類共通の概念があるという考えのことです。

例えば父親は厳しさを連想しますよね。
どんなに優しい父親でも、父親とは一般的に厳しいものだというような認識を多くの人が持っているはず。

これは日本だけではなく世界中で同じような認識を持っているのだと言います。

言葉も文化も違う国で、父親の概念がなぜか共通しているのって不思議ですよね。

このような共通する概念のことを集合的無意識と言います。

sponsord link



集合的無意識は、すべての人や生き物とつながっていると考えられていて、普通人には顕在意識と呼ばれる頭で考えている表層の意識の部分と、それとは別に本心の部分で無意識に考えていることを潜在意識と言います。

どちらもどんな人にも持っているものなのですが、これらは個人個人で独立したものです。

双子ですらそれぞれ考え方が似ていると言っても同じではありません。

しかし、無意識のさらに奥深くではすべての人間はつながっているとユングは言います。

こんなこと普通に考えて信じられるものではありませんし、証拠を見せろと言われても見せられるようなものでもありません。

ですから集合的無意識はぶっちゃけオカルトの1つに過ぎないのです。

しかし、オカルトはオカルトでも私は納得のいくように解釈したい。

どうすれば集合的無意識を解釈することができるのか。

そう考えたときにあることを思いつきました。

それが原子です。

人間も物も動物も、すべての物は原子で出来ています。

人間が死んでも、物が壊れても、原子は残っていて地に返るかどこに行くのか形は見えませんが、原子だけは確実にこの世に残っています。

昔から今でも信じられている概念に魂の存在がありますよね。

魂って結局何なのか誰もわかりません。

ですが、魂が原子だと考えれば、輪廻転生やその他もろもろがうまーくつながるのではないかと私は考えます。

形としては失ったとしても、原子は残ります。

ですから魂は残るし、その原子がまた何かとくっついて別の形を成すことで生まれ変わりもあります。

記憶って脳が電気信号でどうのこうのしたものですよね。

脳の構造はまだちゃんとわかっていませんが、脳も原子が集まってできています。

つまり、原子がある結びつき方をすれば脳になり、原子がある結びつき方をすれば記憶することや映像として見ることができるのです。

原子があればできるということは、今私たちの体にある原子も日々入れ替わっていて元は誰かさんの体だった原子もあるかもしれません。

そういったいろんな原子が集まって、原子に残された記憶のようなものが集合的無意識になっているのではないでしょうか。

遺伝子にはるか昔のなごりが残っているように、記憶も極限まで薄めた紅茶のように薄ーく残っていて、それが全てのものとつながっている理由なのかなと思います。

集合的無意識とかって聞くと、オカルト臭くてでたらめだと思う人もいるかもしれませんが、現に人間の体や動物の体に大昔のなごりが残っていることも相当な話ですから似たようなもんだと私は思います。

それではまた。

sponsord link



コメント