このブログを何度か読んだことのある方ならご存知かもしれませんが、私努力と言う言葉がすごく嫌いなんです。
その理由を簡潔に言うと、努力って結果ありきのものが多く結果の出ない努力は努力とすら認められないことが嫌いな理由です。
しかし世間では努力とか根性とか好きな人多いですよね。
まあ結果が出た人がそれだけ多いと言うことでもあるのかもしれませんが、なんで努力を好む人がこんなに多いのかなと疑問に思い、少し調べてみた結果ある事実を知ることになりました。
今回はそのある事実についてお話したいと思います。
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人が努力を好む理由
最近記事が長くなりがちなので簡潔に話していきます。
人が努力を好むのは、「努力して得たものがすごく価値のあるものだと感じる」と言う心理があります。
例えば、最初から勉強ができる人は勉強ができてテストの点が良いことにさほど喜びは感じません。
そりゃあ当然です。
別にその人にとってはそれは当たり前なのですから。
しかし勉強を一生懸命努力してテストの点が上がった人ならどうでしょうか。
頑張った結果テストで良い点が取れれば嬉しいですよね。
仮に両者が同じ点数だとしても、喜びを感じるのは確実に後者の努力した方ですね。
これと同じようなことが他にもあります。
スポーツも頑張ってできるようになれば嬉しいですが、最初から適当にやって出来る人にとっては当たり前なんです。
人間ある程度までは努力で何とかなるもので、勉強も頑張ればある程度の大学までは合格することができます。
スポーツも頑張れば中学・高校サッカーの部活などである程度活躍することはできます。
頑張ってなにも達成できない人はほとんどいません。
努力を人が好む理由はまずこれが1つだと言えます。
次に努力して得たものは簡単に捨てられないと言うことがあります。
例えば、適当に書いた絵が入賞して賞状をもらっても、別にいらないですよね。
しかし頑張って書いた絵が入賞して賞状をもらったとすればとても嬉しいものです。
努力しなくてもらったものは何の思い入れもないので簡単に手放すことができますが、頑張って得たものはなかなか捨てることができません。
これは「サンクコスト効果(埋没費用)」または「コンコルド効果」と言って、人は何かに対して使った資金や労力が、それをやめても戻ってこない場合それに執着する特徴があります。
本来は経済的な用語として使われるものですが、努力を好むのもこれが当てはまるのではないかと思います。
例えばパチンコをして5000円までと決めてもいざ5000円使って終わったら5000円損しただけになってしまいます。
もしかしたらあと1000円、2000円で出るかもしれないと考えるとやめられませんよね。
なぜならやめた時点で損することが確定するからです。
努力もまた似たような性質を持ちます。
今まで頑張って来たスポーツでせっかくここまでやってきたのに辞めるとなるともったいないと思いますよね。
それにかけた努力や資金が大きければ大きいほど執着してしまい、簡単に辞めることができません。
この2つの理由を合わせると。
一生懸命頑張ってできたと言う達成感。 それまでにしてきた苦労。
これらが合わさって辞めるに辞めれない状況になり、なおかつ苦労して得たものは周りから見れば大したことなくても本人からすればかけがえのない大切なものです。
冷たい言い方ですが、努力って結局ただ執着しているだけにすぎないのです。
自己満足にすぎないわけです。
努力すれば報われるとか、努力は裏切らないなどと成功者は言いますが、努力すれば誰でも成功するわけではないことは子どもでもわかることですよね。
私はそれが嫌で努力と言う言葉が嫌いでした。
結果が出ないことを嘆いても、お前の努力が足りていないとか、続けることが大事なんだなど歯の浮くような甘いことばっかり言いいますが、なんか腑に落ちないなと思っていました。
確かに努力すればある程度は伸びます。
しかし世の中には才能と言うものが存在します。
最初から勉強ができる人は頑張らなくてもテストで良い点が取れますよね。
普通の人は頑張ってテストで良い点を取ります。
このとき最初から勉強ができる人が頑張ったらどうなりますか?
当然もっと良い点を取りますよね。
努力で埋まるのは限界があります。
私がいくら頑張っても、オリンピック選手にはなれません。
恵まれた体格や恵まれた環境。
そこに努力が加わって初めてオリンピックに選抜されるような優秀な選手として活躍することができるのです。
成功者はそれを努力だと言います。
しかしそれを鵜呑みにして頑張ればなんとかなるんだ!と考えるのは軽率です。
なぜならあなたの体とオリンピック選手の体は全然違います。
あなたの頭脳と成功者の頭脳は全然違います。
そもそもの才能やそれができる環境など、揃ったうえで努力したからこそ成功者は成功者になれるのです。
それなのに世間の人間が努力が大好きな理由は、上記でも言ったようにある程度は努力でまかなえて、その努力によって得た報酬は自分の中では金メダルなのです。
その金メダルを大事にして捨てられない。
ただそれだけなのです。
だからと言って私は努力をしない方が良いと言っているのではありません。
才能にプラスして努力があるから成功するのですから。
努力をするなとは言いませんが、努力が至高的な考えは危険です。
そしてなにより努力すれば報われると言う考えは最も危険な思考です。
なぜなら、努力が自己満足であるのに報われるなどと考えると言うことは、報われなかったとき不満を感じてしまうからです。
今までの私はまさしくこれでした。
努力しても結果がでなければ足りないと言われる風潮。
それなら努力なんてものは結果がでなければ努力にすらならないと言うことではないですか。
努力が報われるのは、単に結果が出た過程にある労力のことを努力と呼ぶのですからそりゃあ報われますよね。
努力とは結果が出ることが前提なんですから。
しかし真の努力とはただやったこと。
それが上手く行ったなら努力と呼び、上手く行っていないのなら努力と呼ばない。
ただそれだけのことで、あくまでやっていること自体は同じなのです。
まとめ
結局話が長くなりましたが、努力って単なる自己満足であり、苦労することを言い換えたものです。
その苦労が報われたことを成功と言い、成功した過程のことを努力と呼びます。
そしてその苦労が大きければ大きいほど大事なものとなり、手放せなくなります。
つまり人が努力を好む理由は、自己満足が誰かに認められ嬉しい。
たったこれだけのシンプルな理由なのではないでしょうか。
しかしこの場合の努力はアドラー心理学で言うところの報酬であり、承認欲求にすぎません。
ですから自己満足の域であれば健全な努力かもしれませんが、人に褒められたいとか結果を残したいと言う思いでする努力は承認欲求に動かされたものなので、結果が出なければ苦痛に変わります。
努力するのはいいですが、人に認められようと努力するのは危険であると言えるでしょう。
なぜなら、人に認められなかったとき傷つき苦しむことにつながってしまうのですから。
それでは長くなってしまいましたがこれで以上です。
努力は自分が楽しみたいからぐらいにしておいた方がいいのかもしれませんね。
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