男尊女卑や人種差別の心理とコップの水理論

sponsord link
ハラスメント関連
この記事は約4分で読めます。

こんにちは、今は昔に比べ差別される事も少なくなっているように感じますが、未だ無くならない差別問題。

今回は人が人を差別するのには一体どんな心理が働いているのかを私なりに考えてみましたので、差別についてお話したいと思います。

sponsord link

・はじめに

あなたの周りには人を差別するような人はいますか?
ちょっとデリケートな話題ですが、沖縄では本州の事を内地と呼びます。
その内地出身の人の事をないちゃーと呼び、あまり良い感情を持ちません。

高齢者に特に見られる差別の一種「ないちゃー」ですが、なぜ差別するようになってしまったのかと言うと、第二次世界大戦の時、旧日本軍の態度の悪さが現代まで影響しています。

旧日本軍の兵士にはとてもひどい扱いをされたと聞かされています。
例えば、防空壕で子供が怖がり泣いてしまった時、今すぐ泣き止ませるか、殺せと命令されたそうです。

そしてどうにもできなかったら親子共に殺されたと言われています。

このように今でこそ差別するのも減り、改善されてきたように思いますが、ここまでではないにしろまだ無くなってはいません。

sponsord link

差別する心理

その背景には人の「自分の弱さを受け入れる事ができない」と言う心があると私は考えます。

「器が大きい」や「器が小さい」と言う例えを使う事をよく耳にします、その「器」は人によって大きさがさまざまで、差別する人の多くは自分の「器」から感情が溢れ、どこかにこぼしてしまうのではないかと思います。

シャンパンタワーのように、上のグラスが溢れ、どんどん下に流れていくようにどこかに溢れているのでしょう。

しかし、私たちは同じ人間です。
それぞれ種類によって個体差はあるとは思いますが、そこまで大きな差があるとは思えません。

多少大きさは個人差があるとは思いますが、もしかすると器を自分で狭くしているのではないでしょうか。

例えば、コップに氷を3つ入れて水を灌ぐのと、氷を入れずに水を灌ぐのでは水の入る量が違います。

ですが、氷を含めた総量はどちらも同じです。
このように、人を差別したり、何かのせいにしている人達は自分の心の器に、「氷」を多く入れているのかと。

そのため、すぐに溢れてしまい誰かにかかってしまうのではないでしょうか。

私はこのような状態のことを「コップの水理論」と呼んでいます。

もしそうならその氷をすぐに取り除く事が必要になりますが、私にはその方法はまだわかりません。

しかし、自分の事に置き換えてみると、自分の中にある「常識」や「こだわり」などが「氷」の役割を果たしているのではないかと考えます。

自分で自分の常識やこだわりを知るのは簡単ですよね。

その常識やこだわりを客観的に考えて、本当にこれが正しいのか考えたり、これにこだわる必要があるのかなど自分の考えを整理していき、もし不要なものがあれば捨てるのです

そうする事で心は広いスペースを取る事ができるのではないでしょうか。

私は誰かに対してこれをする方法はわかりませんし、もしできるとしても簡単ではないと思います。

ですが、一人一人が自ら行い、自分の心を整理すればいいのではないかと思います。
これでみんなが心のゆとりを持つことができれば差別はなくなっていくのではないでしょうか。

おわりに

人間は人のせいにしたり、何かのせいにしたり責任を自分以外に向ける事で自分を守ります。別の言い方をすると、自分を守るために誰かを傷つけていると言う事です。

こう聞くととってもダサい事だと思いませんか?
もし何かあって、それを何かの責任だと考えたとしたら少し落ち着いて、もう一度考えてみてください。

完全に相手の過失であったとしても、自分がこうすれば回避できたかもと思う所が一つはあります。

無理にそう考える必要はありませんが、そうする事でそのような事が今後起きる可能性は減ると思います。

何かが起きた時、何かのせいにするのではなく、その原因や改善点などを考える事で次に生かすことができます。

ある意味いじめっ子の方がいじめられっ子よりも弱いと言えるでしょう。
もし本当に差別を無くしたいと思うなら、心を強くするのが先決かもしれません。

いじめ問題が深刻化している学校も心を強くするトレーニングをする必要があるのかと私は思います。

心を強くする事については、心を強くするために必要な5つの方法こちらに詳しくまとめてありますので、良ければ参考にしてください。

とは言え、私もまだまだ強くはありません。
もっと強くなるためにも日々精進です。
今回はここまでです。
それではまた。

sponsord link

コメント

タイトルとURLをコピーしました