年々趣味や趣向品などに興味が持てなくなった件

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日記
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何度か当ブログをご覧の方はご存知かと思いますが、私は元バーテンダーと言うお酒にまつわる仕事をしていました。

当時はお酒が好きで、いろんなお酒を飲んだり、カクテルを作ったりするのが好きでした。
しかし、お酒にまつわる仕事をすると言うことは、必然的に飲みたくないお酒も飲まなければなりません。

時には強いお酒を罰ゲームなどで飲まされることもしばしば。
そのような生活を続けている内に、だんだんお酒って何だろうと哲学チックなことを考えるようになりました。

その結果、お酒とは単なる趣向品に過ぎないと言う当たりまえの答えに行き着きました。
単なる趣向品に振り回されているような気になり、一気にお酒への興味が失せてしまいました。

それと同時期に、テレビなどにも全く興味を感じなくなってしまいました。
テレビは視覚と聴覚からの情報により、わかりやすい反面、1時間近く時間を使うことになります。
1時間テレビの前にいなければなりません。

それが何だかすごく無駄に感じ、テレビを観なくなっていきました。

遊びに行くことや、ショッピングに行くこと、その他さまざまなものに興味が失せ、年々こう言った趣味や趣向品などに楽しみがなくなりつつあります。

それを人に言うと、変な奴とか、病んでるの?とか、人生楽しんだもの勝ちだよなどと言う人が必ずいるのですが、私の中に楽しさがなくなったのではなく、そう言った趣味・趣向に興味がなくなっただけの話なのです。

趣味・趣向に興味がなくなった代わりに、社会のこと、哲学、人間についてのことなど知識欲が半端じゃなくなっているのを感じます。

ある意味今の趣味が、知識を得ることだとも言えます。

自分の中に新たな発見があることや、わからなかったことがわかること、人を観察していて人がどのように考えて、どのように感じているのかなどを推測し、その精度を上げることに対する興味が増えました。

願わくばこう言った知識や知恵によって生活できるレベルになることを願います。

今回はただの日記のような記事になりましたが、最後まで読んで下さったあなたのために、1つお話しておきます。

一般的な趣味や趣向に興味がないからと言って、おかしいと言うことはありません。
無理に一般的な趣味を持つことの方が返っておかしいのではないでしょうか。

自分が楽しくないことを、周りに合わせるために楽しいと言うのですから、本心とは違うことをすると言うことです。

つまり、心のズレから慢性的なストレスとなり、自分で自分を苦しめることになると言うことです。

無理やり人に合わせても疲れますよ。
周りがしているから自分もやるではなく、自分がしたいと思うからやる。
自分が楽しいと思うからやる。

そうすれば、心のズレはありませんね。

人と違うことはおかしいことではありません。
多数派か少数派かの違いにすぎません。

それだけの違いなのですから、あまり気にしても仕方がないことです。
あなたはあなた、相手は相手、違いがあるからこそ面白いのではないでしょうか。

それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

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