悪い事をすると地獄へ落ちると言うけれど本当はこの世が地獄なのでは説

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哲学
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天国と地獄

人生って良いことよりも悪いことの方が多いと思いませんか?

楽しいことや、嬉しいこと、人生で喜びはたくさんあれど、それ以上に嫌なことや悲しいこと、ムカつくことや不安に思うことはもっとあるように思います。

仕事をしていて、スキルアップや何かを達成すること。
何かを成し遂げ喜ばれること。

他にも多くの喜びや楽しみはありますが、そのどれもが多くの苦労の上に成り立っています。

受験に合格するには必死に勉強して、遊ぶ時間を惜しんで勉強に専念し、スポーツの大会などで結果を残すには、遊びや勉強など他のことをする時間を練習に費やし、なおかつ体を苛め抜いて糧となります。

仕事でも、プライベートの時間を削った分仕事に回したり仕事関係の付き合いや、仕事に生かすために何かを学ぶなど、多くの時間を費やします。

一般的に幸せの象徴とされる「恋愛」「結婚」「出産」なども、すべて多くの、または大きな辛い思いをしなければなりません。

しかし、私は自分だけが辛いのではないと思います。

周りの他人を見ていても、自分以上に辛い経験や辛い思いをしている人はたくさんいますし、みんな苦労していてそれぞれに何かしらの問題を抱えているのです。

そんな中、ふと疑問に思いました。

死んで天国と地獄に分かれると言いますが、もし仮に天国と地獄があるとして考えるなら、一般的なイメージでは天国は「安らぎ」地獄は「苦しみ」ですよね。

天国に行くのは安らぎを得ることなので良いとして、地獄に行くのって、これ以上の苦しみがあるのでしょうか。

もしかしたらこれ以上の苦しみもあるのかもしれません。
しかし、今でも多くの人が苦しみながら暮らしているのを考えると、実は今いるこの世こそが地獄なのではないでしょうか。

この世には確かに良いこともたくさんありますし、喜びや楽しみも安らぎもあるのは間違いない、ただそれよりも多くの苦しみを経験し、多くの苦しみを知ることによってその安らぎを知ることができるのです。

ただ単に苦しめただけでは自殺者や、悲観した人は子どもも産みませんよね。そうなると苦しみを味わうこともありませんから、地獄として機能しなくなってしまいます。そのため、少しの良いことを味合わせ、より長くより多くの苦しみを味合わせるのが、この世。

つまり、この世こそが地獄なのではないでしょうか。

苦しみがなければ喜びもありません。
不幸がなければ幸福もありません。
それは多くの哲学者やブッダなどの宗教家も言っています。

しかし、それでは苦しみや悲しみの方が多い理由にはなりません。
苦しみや悲しみが多い分喜びを感じることができるのはわかります。

では、喜びや楽しみが多ければ、良いのかと言うとそうではありません。
逆に喜びや楽しみの方が多くても、その分苦しみや悲しみが大きく感じると言うことでもあるからです。

それではどちらでも同じですよね。
だからこの世の哲学者・宗教家などは今ある幸せを感じなさいと言っているのです。

しかし、幸せがある時点で、必ず不幸もあると言うことです。
この世にいる限り、一生幸せで居続けることもなければ、一生不幸で居続けることもありません。

ただただ生かさず殺さずの状態をずっと続けていくのです。

話を戻して、天国とは「安らぎ」だと言いましたね。
でも安らぎを感じるには、苦しみを感じなければなりませんよね。

と言うことは、ブッダが言うように、物事に対して執着をなくす。
苦しみや悲しみをなくすには、その対象に執着しない。

つまり、何も感じないこと、関心をなくして良いも悪いもない状態にすればいいのです。

そうすればもう苦しむことはありません。
が、その反面苦しみがなければ喜びもないと言いましたね。

そうです。
良いも悪いもない、幸も不幸もない世こそが「天国」なのではないでしょうか。

何も苦しみがないと言うことは、何も喜びもないと言うことです。
なぜなら、苦しみを知らなければ、喜びもわからないからです。
喜びとは、何か基準があるからそれが喜びだとわかるのです。

その基準があると言うことは、基準を下回ることこそが苦しみだと言うことなのです。

幸と不幸は表裏一体。
どちらもなければ存在すらできないのです。

そう考えると、天国が幸せで素晴らしいことしかない世界と言うのは、ありえないのです。

天国は、何もない世界。 地獄は、苦しみの世界。

つまり、地獄とは苦しみがある世界だと言うことは、その分喜びも多くある世界だと言うことです。

もしこの説が正しいのなら、人間が死ねば、みんなすべからず天国に行けると言うことだと言えます。

なぜなら、死ねば何も感じることは無いと考えられるからです。

と、ここまで「天国と地獄」のお話をしてきましたが、この話に証拠なんてありません。
あくまで仮設にすぎず、これを解明するには、死後の世界を知らなければ誰にも解明することはできません。

そして、死後の世界を知ってなお生きている者は、この世にはいない。
それではまた。

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コメント

  1. 坂本仁 より:

    この世は地獄その思いはとても良い感じ もう少し付け加えるならば 苦しみや憎しみ悲しみは魂を成長させるための学びだとすればまた少し確信にちかずけると思う 過去生でやり残した魂を成長させる修行をする場所がこの世です ただ若い魂は余りにも強い試練には耐えられない そこでその魂が耐えられる試練から始まるのです 段階的に強い試練を経験させる 成長した魂はあの世で仏様につかえる 人間としてこの世(地獄)に生まれる事はない

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