人間が持つたったひとつの正義

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哲学
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正義と言うと、大それたように聞こえるので構えてしまうかもしれませんが、人には法律などの社会の守るべきルールと自分のプライベートな部分のルールの2種類の正義を持っています。

その2つの正義は、自分の中にある大きなものによって支配されています。
その大きなものと言うのは「信じる心」です。

社会的な正義は、いくら自分の信じる心によって主義や主張を唱えても、そこに個の主張で左右されることはほとんどありません。

しかし考えてみてください。
犯罪者として検挙された人たちの発言は、最初は犯行を認めようとしないのがほとんど。
最後まで認めないことも少なくないのではないでしょうか。

犯罪と言うと殺人などの凶悪で大きなことを想像するかもしれませんが、嫌がらせなどはどうでしょう。

気に入らない人の文句を言って回る名誉棄損をしている人がいるとします。
あまりに酷いと、文句を言われている方は被害届を出します。
ですが、いくら被害届を出されたからと言って、文句を言っている方はあいつが悪いんだと言って聞かないのではないでしょうか。

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つまり非を認めないわけです。

日常生活でも同じようなことがあると思います。
自分が良かれと思ってしたことが、相手にとって嫌なことで止めて欲しいと言われた時、人は自分が否定されたことに嫌な気持ちになり、相手の気持ちを尊重できずにかえって自分の気持ちをわかってもらえなかったことを批判することがあります。

両者に共通していることはなんだと思いますか?
それが人間が持つたったひとつの正義なのです。

たったひとつの正義。
それは自分が信じたいこと。

つまり「信じる心」なのです。

あなたが信じるものを否定されたとき、人はそれを受け止めることができないことがあります。

信じる心が強ければ強いほどそれは顕著に表れ、自分が信じて人生の指標にしてきたもの。
こだわりを持ち、執着しているもの。

それに反する意見を認めることができないのです。

宗教に入っている人は、自分の信じる神を否定されたとき大きな怒りを覚えます。
有名な宗教ですら同じ宗教内の宗派の違いがあり争いになることもあります。
カトリックとプロテスタントが対立していることは多くの方が知っていますよね。

これは同じキリスト教でも信じるものの違いが生んだ争いであると言えます。

キリスト教に関しては、イスラムもキリストもユダヤも本来は同じ神を崇める宗教であることも有名な話です。

それなのにも関わらず争っているのは、信じるものが違い、自分たちが信じるものに異議を唱えていることから争いになっているのです。

自分が信じる心を否定されたことがこんなにも大きな問題となっていることからも、わかるように人は自分が信じること、信じたいことを基準に生きていると言っても過言ではありません。

本当はたったそれだけのことなのです。
自分と合う人合わない人。

みなそれぞれあると思いますが、本当はただ自分の価値観や思想、信じることが「合う」か「合わない」か。

人間関係は至ってシンプル。
ただそれだけであると言えるのではないでしょうか。

みんなと仲良くしたい、みんなに好かれたい。
そう考える人は少なくありません。
できれば嫌われるよりは好かれる方が良いに決まっていますよね。

誰からも好かれようと思うのは悪いことではありません。
しかし、それは逆に言えば右も好きで左も好き。
右も嫌いで左も嫌い。

そう言っているのと同じなのです。

右が好きと言いながら右は嫌いだと言っている人を誰が好きになるのでしょう。
それでも良いと言う人はいるかもしれません。
その反面自分の意思がない、八方美人だと嫌われることにもつながります。

つまり、万人から好かれることなんて人間には不可能と言っても過言ではないと言えます。

その理由は人には信じる心があり、自分の信じることに反していることを嫌うからです。
人が人を批判する時、それは自分の信じることに意を反したと言うこと。
たったそれだけのことなのです。

自分の信じる正義。
真の正義などは存在せず、ただ信じる人が多い方が正義だと言われているだけなのかもしれない。

あなたが信じる正義とはなんですか?
その正義、実は自分だけが信じている正義かもしれませんよ。

それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

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