私は写真があまり好きではありません。
写真と言っても風景や自然、動物などや戦場カメラマンのような写真は好きなんですが、いわゆる旅行写真や集合写真、主に人物をメインとした写真が好きではありません。
私自身人見知りで、人前に出るのが苦手なのもありますが、写真を取られることやむしろカメラを向けられるだけでも身構えてしまいます。
そんな私からすると、現代人はやたらと写真を撮りたがると感じます。
かねてより言っているSNSでの投稿にはじめ、ことあるごとにスマホで写真。
飲み会で写真。外食で写真。デートで写真。
旅行や行事ごとの写真ならまだしも、なんでも写真を撮るのに疑問を覚えます。
昔は芸能人を見かけるとサインを書いてもらうために殺到していたように思いますが、今はサインではなくみんなスマホを構えて写真を撮ります。
明治のころは写真を撮ると魂が抜かれると言われました。
これは単なるオカルトにすぎないですが、これが本当だとすると現代人の魂はすっからかんになっているのではないでしょうか。
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オカルトを抜きにしても問題視しているのは、写真を撮ることが目的となりその思い出には目が向いていないように感じるのは私だけでしょうか。
何でも写真を撮ることで、大事な思い出もそうでもない思い出も、全て写真に依存します。
写真を撮るのが習慣化してしまうと、写真を撮るのが当たり前になります。
すると写真を撮ったことに満足し、思い出として記憶に残ることが少なくなってしまい、結果として残るのは写真だけになりかねないのではないかと考えます。
思い出のために写真を撮ると言うかもしれません。
しかしその思い出の量が多くても、人間の脳はすごくドライです。
数年経てば記憶は薄まり記憶の彼方へと消えて行くでしょう。
人間の脳はすごいと言われますが、何がすごいって自動でいろいろしてくれていることがすごいのだと思います。
あなたは意識しなくても心臓が動いています。
横隔膜が動き肺が動きます。
胃が消化し腸で吸収します。
あなたが写真を撮っても脳は自動であなたの記憶を仕分けし、重要度に応じて取り出しやすいフォルダに残します。
もしこのときどうでもいいと脳が判断すれば記憶の彼方へと押し込まれます。
しかしあなたの脳が大事だと思えば取り出しやすい場所に保存します。
つまり写真を撮らなければ覚えていないような記憶であるのなら、あなたの脳は重要ではないと判断したと言うことになります。
私が思うに写真とはアート、芸術の類。
思い出のために残すものではなく、あなたを表現するために写真として写すものなのではないでしょうか。
この考えだと、写真を撮るのは自己表現。
それを見せたがるのは自分を知って欲しいと言う欲求。
自己顕示欲であると言えるでしょう。
そして自己顕示欲と共に表れている欲求。
それが自己承認欲求であると言えると思います。
写真は思い出のためのものと言うのはカメラメーカーの販促のためのキャッチコピーである可能性があると私は考えます。
もしくは思い出のためと言う聞こえの良い言葉で包み込み、本当の目的である自己顕示欲や自己承認欲求を隠すための表向きの理由であるのではないでしょうか。
写真がどうのこうのと言っている私にとっての自己顕示はこのブログ。
写真をやたらと撮りたがる人にとっての自己顕示は写真。
ただそれだけの違いなのかもしれませんね。
写真好きなのはいいですが、人に見せたがることや人を撮りたがるのはもしかしたら私のようにウザいなと思っている人も少なくないかもしれませんので写真好きは十分注意して写真に収めましょう。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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