良い大人が怒鳴って押さえつけるのはいかがなものか

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コラム
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人に何かを教える時、場合によっては怒ることも必要だと言う人がいます。

ちょっとしたミスぐらいなら注意する程度でいいかもしれませんが、大きなミスを何度もされては困るので怒って釘をさしておく必要があるからそういうのです。

これは場合によっては正しく、世の中なめ腐ってるやつには生半可な注意では意味を成しません。

しかし、良い大人が人目をはばからず怒鳴りつけているのを見るとなんだかなあと疑問に思います。

例えば一昔前のラーメン屋さんの大将は客前で店員に怒鳴りつける人がいましたよね。

ラーメン屋に限らず接客業の人が客前で怒鳴ったりするのは今では考えられないことだと思いますが、当時は怒鳴って教えるのが当たり前のような考え方の人も少なくありませんでした。

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逆に最近では客側が店員に怒鳴りつけるモンスタークレーマーなどが目立ちます。

電車が遅れて駅員にどうしてくれるんだと詰め寄ったり、割りばしは1人3つまでと決まっているのにいちゃもんつけて怒鳴り散らしたり。

怒らなければわからないこともあるかもしれませんが、私個人的には怒ってわからせることって本当にわからせているのではなく、ただ単に無理やり押さえつけているだけだと思います。

誰だって怒られたら怖いですよね。

怒られて怖い理由は、怒り狂ってる人が何をしでかすかわからず命の危険があるかもしれないからです。

侍じゃあるまいし、自分の信念を曲げるぐらいなら死ぬなんて考えはもはや化石。

命あっての人生なんですから命に危険があるのならどうにかやり過ごす方法を選ぶのではないでしょうか。

まあ実際怒鳴っている人が命を脅かす可能性としては低いとは思いますが、万が一ケガさせられてからでは遅いのです。

死なないにしても危害が加えられる前に危険を察知して回避するのは生物の本能であると言っても過言ではありません。

ですから怒鳴ってわからせるってことは、わからせているのではなくただ単に回避されているだけだと言うことです。

そのため怒らなければわからないこともあるとか言うのは、ただ恐怖心を与えているだけの行為です。

その物事を教えているわけではありません。

だから怒鳴って教える人がいなくなったときまた同じミスを起こしたり、根本的な改善にはならないと私は思います。

ただし何度も同じように怒鳴られているとさすがにトラウマのように体が恐怖で縮こまるようになり、覚えるっちゃ覚えます。

教育と言うより洗脳ですが。

怒鳴る人ってお前のために言っているんだぞとか、いかにも相手のことを思ってしているかのように言いますが、見てもわかるように全くそんなことはありません。

自分は言ったと言う事実を植え付けたいだけです。

そんなゴミみたいな大人が偉そうにふんぞり返ってくるのはいかがなものなのでしょうか。

怒りに任せることは動物でも原始人にでもできることですよ。

そんな原始人の多いこと。

現代はすごい進んだように見えて、案外人間は何にも変わっちゃいないのかもしれませんね。

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