日本では、謙遜することを良しとする社会的風潮があります。
どんなに偉くても、ただの人間であること、どんなにお金持ちになっても、お金を稼げているのはみなさんのおかげであること。
成功したのは自分1人の力ではないと感謝する気持ちを忘れない心。 それが日本の美しい精神、謙遜する心。
これはとても大事な精神であり、いつも感謝の気持ちを忘れない心を大切にするのは日本人として誇りに思う精神だと思います。
しかし、謙遜する心を意識しすぎいつからか自慢をしてはいけない。
威張ってはいけない、その果てに成功するのが悪だと思い込む人がとても多くなってしまっているように感じます。
もちろん口では成功を悪だとは言いません。
ですが、多くの人はお金持ちを汚い、成功者は悪い人、成功は隠さなければならないという風潮が生まれてしまいました。
もともとの謙遜する心をいつしか誤解してしまい、ただ自慢をすることや、成功自体が悪いというような意識が生まれてしまったのです。
そのため、日本ではいかに自分が不幸か、いかに自分が成功していないかを話すようになり、それをこじらせた結果、不幸自慢をし合う「不幸自慢大会」が開催されてしまっていることをみなさんはご存知でしょうか。
今回はそんな不幸自慢大会を有名マンガ「ドラゴンボール」の作中にある、「天下一武道会」をもじって「天下一不幸自慢大会」としてお話したいと思います。
あなたも知らない内に「天下一不幸自慢大会」にエントリーしてはいませんか?
心当たりのある方もない方も、ぜひ1度振り返ってみてください。
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自慢をしてはいけないと意識するあまり、不幸を自慢していることに気がついていない
多くの人は、謙遜することから派生して「自慢」を悪だと考えるようになっているように思います。
しかし、冷静になって考えてみてください。
確かに成功することを自慢するのはウザいですが、だからと言って不幸を自慢するのも同じ自慢ではないでしょうか?
そうです、人は自慢がいけないと言いながら、不幸は自慢しているのです。
そもそも自慢ってなんでするのでしょうか。
それは、人間の欲求が深く関わっていると考えます。
みなさんもご存知のように、人間には3大欲求というものが存在します。
「1性欲」「2食欲」「3睡眠欲」
これは誰にでもある欲求で、恐らくほとんどの方が知っていることです。
この3大欲求は人間が生きる上で最重要な欲求であり、避けては通れないものですよね。
知ってる方も多いと思いますが、この3大欲求以外にも同じぐらい大きな欲求があります。
それが「自己顕示欲」です。
自己顕示欲とは、自分を知ってもらいたいという欲求のことで、知ってもらうために自己を顕示する、つまり自分をアピールして自分を知ってもらいたいと言う欲求のことを自己顕示欲といいます。
自慢とは、自分を褒めて他人に誇ること。
ということは、自慢も自分をアピールして知ってもらいたいからするものだと言えます。
要するに、自慢がいけないと言われるのは、自分を褒めて他人に誇ることが、自分がすごい、自分の力だと感謝の気持ちを忘れ、他人に誇るからだと言えるのではないでしょうか。
最初に話した謙遜する心から考えれば、自慢がなぜいけないかはこれで説明付きます。
不幸自慢をするに至った経緯の考察
ではなぜ人は不幸自慢をするようになってしまったのでしょうか。
それは、普段は厳しい両親や先生などが、風邪をひいてしまったとき、けがをしてしまったときなど不幸なときに優しくすることから始まったのではないかと思います。
小さなころから苦しんでいる人や、辛そうにしている人を助けるのが良い行いだと教わってきますよね。
その代表例が戦隊物などの正義のヒーローです。
正義のヒーローは、悪の軍団が市民を襲って困らせます。
そこにヒーローが現れ悪党を退治する。
これぞまさしく弱きを助け強きをくじく。
それを日本では小さいころから見せられて育ってきます。
幼いときに倫理観や固定観念を作り上げた結果、弱きを助け強きをくじくの精神が宿ったのではないかと考えられます。
そして次に、お金や成功者を悪だとする固定観念ができるのですが、その由来は多くのテレビや漫画、アニメなどで大金持ちと理不尽さを植え付けられてきたことからお金=悪という図式、お金持ちなどの成功者=悪という図式が生まれたのではないでしょうか。
例えば、日本では昔身分制度がありました。
それを良しとしなかったのが幕末の維新志士ですよね。
幕末って大昔のようであり、言っても150年前ぐらいの話なんですよ。
150年ってさすがに生きている人はいませんが、超長生きのおじいさんおばあさんは、親から聞いて知っていることなんですよ。
思ってるよりも最近の話であるため、弱きを助け強きをくじくの精神が未だに残っていても何らおかしくないのです。
そう言った歴史の背景からもお金持ち=権力者で、それらが悪だという認識があるのが説明できると思います。
あえて言う、不幸を自慢しても自慢には変わりないと
以上の経緯から日本人が謙遜ではなく、幸せではいけない、成功してはいけないというような固定観念や倫理観を心の奥底に秘めていることが言えるかと思います。
しかし、その考えは間違いです。
最初にも言いましたが、成功を自慢せず、あくまで周りのみんなのおかげでやってこれたと感謝する気持ちを持ち続けることが素晴らしいのであり、自分が成功していないこと、不幸であることは自慢し、アピールすることは美しくもなければ気持ちの悪い文化だと言わざるを得ません。
本来はあくまで謙遜することを良しとしたのであり、なにも不幸であれと言ったわけではないはずです。
それなのに私はこんなに不幸だと言いあうのです。
みなさんの周りにはいませんか?
「今日も12時間も働いた」「1カ月間1日も休みがなかった」「お金がなくて困っちゃう」「自分なんか全然ダメ」
これらは謙遜ではありません。これは、自己否定というのです。
そして上記のようなことを誰かが言えば、それを聞いた誰かが「私はもっと大変だった」「〇〇さんなんてもっと悲惨よ」などともっと不幸であることをかぶせていき、でも私はこう、あの人は、私は、といつまでも不幸自慢をするのです。
しまいには他人と話す時だけでは終わらず、テレビやラジオの内容に対して不幸を言い、ときには雑誌や本などを読んで、さらにネットでも始まるのです。
こういった不幸自慢大会はいつの間にかエントリーし、いつのまにか大会が開催され、そしてこの大会の報酬は、ただあわれみをいただくだけなのです。
こんなしょうもない大会が他にありますか?
誰が誰より不幸だからと言って、それが幸せであるわけではありません。
仮にあなたが私より不幸だからと言って、私が幸せになるわけではないのです。
そして、何度も言いますが、成功や幸せ自慢をするのはウザいとか嫌だと感じるのに、不幸を自慢するのですよ。
これって自分で自分をウザいとか嫌いって言っているようなものではないでしょうか。
これに加え不幸自慢をする人の多くは、自分の不幸な面にばかり目を向けます。
不幸な面ばかり見ると言うことは、不幸を多く見ることでもあり、不幸しか見ていないということでもあります。
つまり、不幸自慢ばかりしていては、いつまで経っても不幸から抜け出す事はできず、いつまで経っても幸せになることはできないと言うことです。
あなたは本当はどうなりたいのですか? 不幸になりたいのですか?
私はあなたが不幸になりたくて生きているというのならもうこれ以上なにも言いません。
しかし、あなたは不幸になりたくて生きているわけではないのではないでしょうか?
あなただけじゃない、全ての人間は不幸になりたくて生きているわけではないはずです。
それなら不幸自慢をしている場合ではありません。
自分の不幸にではなく、自分の恵まれているところ、幸せなところに目を向けた方がいいのではないでしょうか。
なにも幸福を自慢しろと言っているのではありません。
幸福に目を向け、自分が恵まれていることや自分が幸せで、生きていられることに感謝することがもともとの気持ちだったのではないでしょうか。
それが日本人の持つ美しき精神、謙遜する心だったのではないでしょうか。
つまり不幸自慢をしている人と言うのは、謙遜する心を忘れてしまっているのです。
なぜなら、今自分が生きていられること、自分が幸せでいられること、今の自分が自分でいられることに感謝する気持ちを忘れ、自分が不幸である理由ばかり探してしまっているからです。
ただこれを私が言ったところですぐに変わる人はいないと思います。
この記事を最後まで読んで下さったあなたも簡単に変わることはできないでしょう。
それほど不幸自慢をすることがこの国に深く根付いてしまっているのです。
ですが、それを知らずにやっている人と、知っている人とではわけが違います。
知らない人は、何の疑いもなくしているのですから当然今後も何も考えずに続けていきます。
しかし、これを知ったあなたはもう何も考えずにはいられない。
私の方が、私はもっと、と言いかけたそのとき、または行ってしまったそのとき、あなたは自分がしたことに気付きます。
人は何度も失敗を繰り返し、修正していって成功します。
これを知ったからと言って、すぐには変わるわけではありませんが、修正することができるようになったのです。
これから先はあなた次第で変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。
私ができるのはここまでです。
後はあなたが決めること。
ここからはあなた次第だということです。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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