日本の国民性として安定を求める傾向があります。
収入の安定、精神の安定、体の安定。
安定していれば不安もなくなり安心することができます。
しかし安定を求めすぎるあまり、かえって不安定になってしまっている人も多い様に思います。
今回はそんな安定をテーマにお話したいと思います。
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なぜ安定を求めると不安定になるのか
安定を求める中でも特に求められているのが収入ですね。
収入が安定すれば体も心も安定させることができ、結果的にすべてをカバーすることができるからです。
ですが収入の安定を求める人の中には、かえって不安定になっている人もいます。
例えば、安定した企業に勤め安定した給料を得るために良い大学に入ろうとする学生。
良い学校に入ろうと思えばたくさん勉強するのが一般的です。
受験に向けて頑張って勉強し、苦労して大学に入ります。
その目的には安定した生活を送るためであると考えているる学生は少なくないと思います。
ここで私は疑問を覚えます。
安定を求めているにも関わらず、大学に合格するか不安になります。
合格するか不安だからたくさん勉強します。
そして晴れて合格してからは就職できるか不安になります。
安定した企業に勤めるために多くの不安を抱えなければなりません。
安定を求め不安定になっています。
普通は不安だから安定を求めると答えるかと思います。
確かにそう考えるのも間違いではありません。
しかしこうとも言えます。
安定を求めると言うことは、自分は不安定ですと言っているようなものであると。
つまり、安定を求める人って自分が不安定であると言っていて、安定を求めれば求めるほどより自分を不安定にさせているのです。
おわかりでしょうか。
確かに不安定だからこそ安定を求めるのですが、安定を求めると不安定である理由が目に入ります。
そうすることでより自分が不安定であることを目の当たりにし、さらに安定を求めます。
するともっと不安定であることが目に入り、まだ足りないまだ足りないと満足することができなくなります。
満足できなければ安定することはできません。
仮に大学に合格し、安定した企業に勤めることになったとしても、今度はこれでは給料が足りない、能力が足りない、仕事を任されない不安やいつ減給・降格・解雇されるかわからない不安など、いつまでも不安は付きまといます。
いくら安定した企業や安定した収入を得ることができたとしても、自分が安定していることを認め、安定しいてることに満足しなければ一生その不安は続いていくのです。
安定を求めて仕事をした人で、本当に安定した人はどれほどいるのでしょうか。
確かに収入は安定したかもしれません。
しかしその安定ではもはや足りなくなり、ずっと不満を抱き続けるのではないでしょうか。
これが安定を求めるあまり不安定になると言った理由です。
本当に安定を求めるならまず真っ先にすべきことは、現状を受け入れ満足することなのではないでしょうか。
とはいえ安定志向の人にこのようなことを言ってすぐに納得してすぐに実行する人はいないでしょう。
なぜなら安定志向とは頭が固いと言うことでもあるのですから。
賛否あるとは思いますが、あくまでも自論です。
嫌なら信じなくてもいいですし良いと思ったら参考にしてもいいです。
どちらにせよ私に人を変える能力はありません。神じゃないので。
もしこれを見て変わりたい、変えたいと思ったなら変えたのは私ではない。
変えたのはあなたです。
私と言う鏡を見て変わったに過ぎません。
いつだって自分を変えるのは自分しかいません。
あなたはあなたにしか変えることはできないのです。
これを読んだあなたは自分が安定を求めるタイプなのか、それとも誰か知っている人が安定志向で気になったのか、理由は私にはわかりませんが自分を変えるのは自分しかできないのですから人を変えることもできません。
自分を変えたいのならあなたは自分で自分を変えるしかありませんし、誰かを変えたいと考えたのならその誰かもまたあなたではなく本人にしか変えることはできません。
ただしあなたが変われば誰かも変わります。
なぜなら相手にとってあなたは鏡です。
鏡が曇れば見えづらく、鏡が綺麗であれば良く見えるのです。
あなたが変われば相手も見え方が変わり、結果として相手も変わることができると言えるでしょう。
安定と不安定も同じく、ただ自分が不安として見るか安心であると見るかでしかありません。
それが不安定に見えるのであれば自らが不安であると思っているに過ぎないのです。
結果には必ず原因がつきものです。
その原因は自分の中にあるのかもしれませんよ。
それではまた。
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