なぜ人はヤンキーが更生する話を称賛しエリートが転落するのを笑うのか

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心理
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※最初に言っておきますがこれはあくまで仮説であり、何の実証もされていない事です。
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        1. ※最初に言っておきますがこれはあくまで仮説であり、何の実証もされていない事です。
  1. はじめに
      1. 確かに真面目すぎる人は融通が利かない所があり、冗談が通じない所があったり、はっきりと言うところがあり、所謂絡みにくい人と言うレッテルが張られがちですよね。
        1. 「たった1度のミスで、今まで積み上げてきたものが一気に崩れてしまうのです。」
      2. 例えば万引きをしたとします。普段から真面目な人が万引きをすれば、大げさに心配されたり周りからの印象が「真面目で良い人」から「ストレスをため込んでいる人」「何するかわからなくて恐い人」などその印象が180度変わるのに対し、不真面目な人が同じものを同じ店で万引きしたとすると、「不真面目で悪そうな人」から「不真面目で悪い人」「人に迷惑ばかりかける人」など大して変わっていない事がわかると思います。
  2. 人は良い方から悪い方に変わるのを嫌い悪い方から良い方に変わる事を好む
      1. しかし、真面目が不真面目になる事を人はとても非難します。 反対に、不真面目が不真面目な事をしても人は大きくは責めません。 しかし、不真面目が真面目に変わる事を人は絶賛します。
      2. 恐らく人類の共通する心理で、衰退・後退などは「死」や「滅び」を連想させます。 つまり、真面目が人々の中で良い事だと認識されていて、それが不真面目へと変わると言う事は後退している、つまり滅びに向かっているとも捉える事ができ、無意識に滅びや死を連想させる衰退していく者を見て、防衛本能が働き過剰に反応を見せているのではないかと考えます。
  3. 真面目な人はそのままではいけない
      1. しかし、悪い事はどうあがいても悪い事です。 今真面目だからとは言え、過去の不真面目さが消えたわけではありません。
      2. しかし、そこを越えて最善を尽くす者だけが評価を得る事ができ、成功する事ができるのではないでしょうか。 不真面目な人も、真面目な人も、どちらもそのままでは価値がないのです。

はじめに

みなさんは真面目に生きてきた方だと思いますか?それとも不真面目に生きてきた方だと思いますか?
私は恥ずかしながら不真面目に生きてきた方でした。

不真面目と言っても、ヤンキーとか不良してたとかそういう事だけじゃないですよ。

地方では、真面目な学生をバカにする風潮があり、勉強はしても不真面目さがなければおかしいと言うような風潮があるようです。無論沖縄ではその傾向は強く、ひどいときにはいじめなどの対象とされる事もあるぐらいです。

確かに真面目すぎる人は融通が利かない所があり、冗談が通じない所があったり、はっきりと言うところがあり、所謂絡みにくい人と言うレッテルが張られがちですよね。

そして、人は普段から真面目な人を見ても、それが素晴らしい事とは思えなくなっていきます。
真面目な人に対し、それがふつう、当たり前だと認識し、このような人が何か親切な事や良い事をしてもそれが段々当たり前だと感じるようになり、ありがたみを感じづらくなっていきます。

しかし、反対に真面目な人が悪い事や不親切な行いをしてしまったらどうでしょう。
今までの良い行いや、真面目な印象はもろくも崩れ去り、必要以上に叩かれてしまう事もあります。

「たった1度のミスで、今まで積み上げてきたものが一気に崩れてしまうのです。」

逆に普段とっても不真面目で悪い印象の人が同じ過ちを犯したとしたらどうでしょう。

例えば万引きをしたとします。普段から真面目な人が万引きをすれば、大げさに心配されたり周りからの印象が「真面目で良い人」から「ストレスをため込んでいる人」「何するかわからなくて恐い人」などその印象が180度変わるのに対し、不真面目な人が同じものを同じ店で万引きしたとすると、「不真面目で悪そうな人」から「不真面目で悪い人」「人に迷惑ばかりかける人」など大して変わっていない事がわかると思います。

以前も別の記事で話したのでご存知の方も少なくないとは思いますが、この事を表している心理的効果を「ハロー効果」「ホーンズ効果」と言い、人の評価の大部分は「第一印象でほぼ決まっている」と言う事を言われています。

今回はこの「ハロー効果・ホーンズ効果」の説明は割愛させていただきますが、タイトルでもある「なぜ人はヤンキーが更生する話を称賛しエリートが転落するのを笑うのか」事についてお話したいと思います。

脚注:「できる人の法則」~イケメン・美女はなぜ優れているのか~ハロー効果・ホーンズ効果についての記事

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人は良い方から悪い方に変わるのを嫌い悪い方から良い方に変わる事を好む

前置きが長くなってしまいましたが、真面目が真面目な事をしても人はあまり褒めません。

しかし、真面目が不真面目になる事を人はとても非難します。 反対に、不真面目が不真面目な事をしても人は大きくは責めません。 しかし、不真面目が真面目に変わる事を人は絶賛します。

これはなぜなのか。その理由は「嫌いなものは自分が抑えている感情や、自分が我慢した事を投影しているからだ」と言います。これをユング心理学では「シャドウ」と呼びます。

脚注:自分では認めたくない自分「シャドウ」についてユング心理学シャドウについての記事

シャドウを当てはめて考えてみると、真面目な人が不真面目になる事を非難する事は、本当は自分もだらけたいと言う願望や、本当は好き勝手したいと言う気持ちがある事を抑え込み、それを他人を通してみる事で感情を刺激されているとも言えるのではないでしょうか。

それに加え、人間は衰退していく、または後退する事を嫌います。

恐らく人類の共通する心理で、衰退・後退などは「死」や「滅び」を連想させます。 つまり、真面目が人々の中で良い事だと認識されていて、それが不真面目へと変わると言う事は後退している、つまり滅びに向かっているとも捉える事ができ、無意識に滅びや死を連想させる衰退していく者を見て、防衛本能が働き過剰に反応を見せているのではないかと考えます。

これが10の良い事が1の悪い事で崩れ去る心理ではないでしょうか。

次に10の悪い事が1の良い事により帳消しになる事の心理についてですが、こちらも同様に不真面目が後退・衰退などの劣化していく事を意味し、それが死や滅びを連想させます。

滅びの一途を辿っていた者が、前進・発展していく事が、進化を現しそれが生や繁栄を連想させるので必要以上に褒め称えられ10の悪い事を一気に帳消しするのではないかと考えます。

この仮説が正しければ、人間は「生」や「繁栄」する事を目的として生きていて、その反対である「死」「滅び」に対し、潜在的に悪だと思っているのではないでしょうか。ユング心理学的に言えば、「集合的無意識」「アーキタイプ」ではないかと思います。

真面目な人はそのままではいけない

つまり、真面目な人が真面目に生きていてもまっとうな評価を得られないのは、「現状維持に過ぎないから」であると言えるのではないでしょうか。現状維持は、衰退・後退をイメージさせるものでもなければ、前進・発展をイメージするものでもありません。

いわば善でも悪でもないと捉える事ができます。
人間は物事を何かと何かを比べなければそのものの価値を知る事ができません。
善でも悪でもない事は価値がない事と同等とも言え、真面目が真面目なのは価値がないとも言えるわけです。

だから真面目な人が多少の良い行いをしても評価はあまり上がらないのです。
ここまで聞くと、なら悪いことしてた方が得じゃんとお考えの方も少なくないでしょう。

しかし、悪い事はどうあがいても悪い事です。 今真面目だからとは言え、過去の不真面目さが消えたわけではありません。

つまり何が言いたいかと言うと、過去に不真面目であったものは、常に不真面目さを持つ自分の心と戦っていると言う事です。元が真面目な人間はそのような不毛な争いはないのではないでしょうか。ないとは言い切れなくても、少なくとももともと不真面目であった者よりは軽度で済むと言えるのではないでしょうか。

真面目な人は、真面目で居続けるのではなく、それを越えていかなければならないのであり、そのままだから評価を得る事ができないのではないかと思います。恐らくここで腐る人は多くいるのではないかと思います。

しかし、そこを越えて最善を尽くす者だけが評価を得る事ができ、成功する事ができるのではないでしょうか。 不真面目な人も、真面目な人も、どちらもそのままでは価値がないのです。

価値がないものに評価を与える事がありますか?
どちらでも、より良くならなければ評価を得る事は叶いません。

持論を語るのに長くなってしまいましたが、私が考える「なぜ人はヤンキーが更生する話を称賛しエリートが転落するのを笑うのか」理由は以上となります。あくまで個人的にな持論ですのでご了承ください。

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