今の世の中何でもかんでも評価され方にはめられて見られます。
その1つが学歴。
学歴はその人がどんなにゴミ屑でも重要な意味合いを持ちます。
例えば中卒の真面目で勤勉な男と、チャラチャラしてて不真面目な高学歴な男。
どちらの方が社会的な信用があるかと言われれば、チャラチャラしていようが高学歴の方が信用されます。
これは就職にも大きく関わり、いくら能力が高くてもまずは学歴で能力を推し量られるのが現状です。
そして晴れて就職が決まったあと、社会人としての信用として会社の大きさや役職で能力を計られます。
どんなに無能でも、役職のついた無能の方が銀行などでローンが組みやすいですし、説得力が出ます。
そんな世の中だから、子どもの頃から勉強しろ、努力しろと言われます。
子どもにとって大人が言うことが社会の基準となり、多かれ少なかれ大人になるまでにそういう「常識」の型にはめられます。
しかし、ときにその常識は人を苦しめます。
子どもの頃からテストや成績で評価され、優しいバカより傲慢な秀才の方が評価される世の中に息苦しさを感じ、次第に他人からの評価を極端に気にしてしまうような大人になってしまうのです。
今の世の中他人からの評価を異常に気にする人がいます。
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私が言うように世の流れだけが原因ではないのかもしれませんが、1つの要因となっているのは間違いないのではないでしょうか。
そんな他人の目を気にしすぎる人はとても社会で生きづらさを感じるはずです。
どんなに頑張って結果を残してもさらに上がありますし、仕事以外にも異性の目や収入、プライベートの充実など様々な方面で気になってしまいます。
すると仮に上手く行っていたとしても楽しくありません。
どんなに世間が羨む成功を残したとしても、どんなに他人が羨む生活をしたとしても常に周りの評価が気になってしまいます。
しかし本当は周りの評価なんかどうだっていいはずなのです。
人は何のために生きているのでしょうか?
人それぞれ違うものかもしれませんが、少なくとも苦しみたいから生きているのではないのではないでしょうか?
でも他人の目ばかり気にしていては本当の楽しみや喜びを味わうことは減ってしまいます。
本当に重要なのは他人の評価ではなく、自分がどう感じるかであり自分の評価が重要なのです。
他人がどう言おうと自分が楽しければあなたの人生満足ではありませんか?
あなたの人生なんだから、まずあなたが楽しくなければなりません。
自己犠牲を神聖化する人がいますが、自己犠牲している人は自己犠牲してまで他人を喜ばせたり助けになる事がその人の喜びなのです。
つまり、自己犠牲とは自分が喜ぶための結果なのです。
もしあなたにとって自分を犠牲にしてまで他人を喜ばせることが喜びと言うのであればそれは立派な生きざまだと思います。
ただ他人の目を気にしているだけで、自分は何も面白くもなんともないのであれば自分を優先されるべきだと私は思います。
そのため私は他人の評価なんかよりも自分の評価の方がよっぽど大事なものだと考えます。
世の中は私たちを型にはめ評価してきます。
ですが、そんな評価なんてくそくらえです。
あくまで大切なのは自分がどうしたいか、自分がどう感じているのかです。
それを忘れないでください。
それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。
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