人それぞれ代償違いはあれど努力をしていることがあると思います。
それは仕事だったり勉強だったりスポーツだったり。
今よりももっと良くなるために誰しも努力をしています。
しかし、努力は必ずしも報われるわけではありません。
いくら一生懸命努力しても大会で負けることはありますし、いくら頑張ってもなんでも要領よくこなす同僚に埋もれてしまうこともありますね。
そんなとき人は「なんでこんなに頑張ったのに報われないんだ」と思ってしまうことがあります。
頑張ったのに何も残らず評価もされなければとても虚しいですよね。
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私は努力と言う言葉が嫌いなんですが、その理由はまさしく努力が報われるものだと思っている人が多いことが原因の1つです。
自分自身ももちろんそう思っているところがあり、努力と言うことが免罪符であるかのような風潮が嫌いです。
ですが、その考えを変えるある言葉を知りました。
その言葉と言うのが「因果一如」と言う言葉。
因果と聞くと応報を思い浮かべると思いますが、因果一如と言う言葉があるようです。
この言葉の意味は、原因と結果は同じであると言う意味の言葉。
普通努力をすることでサッカーが上手くなるとか、問題が解けるようになるなどの結果を求めますよね。
努力をサッカーが上手くなりたいと言う思いを原因として結果を求めるのが多くの場合の努力。
ですが、努力をすることはそれと同時に結果はすでに出ているのです。
自分は努力したんだと言う結果、自信につながったり、相手より優位な気分になったり、本来努力は成功するための原因となるものではなく、努力をして自分を納得させる結果を生み出すために行うもの。
ですから本当は努力が報われないことはないのです。
自分が期待している結果とは違うかもしれませんが、努力には必ず結果がついてきます。
これは努力に限った話ではなく、なんにでも言える事。
恋愛で相手にアピールすることも、電車でお年寄りに席を譲ることも、全部そうした方が気持ちいいからしているのです。
良いことをしたらいいことが返ってくるなんて言いますが、それははるか先の話なんかじゃなくそれをしたその瞬間、今すぐ帰ってきているのです。
因果応報と言う言葉も因果一如の考え方で当てはめれば胡散臭いオカルト話なんかではなく、本当にあることだと理解できるはず。
今回は努力に当てはめてお話しましたが、世の中にあるすべてのことに因果一如の考え方は当てはまるのではないかと私は思います。
私はこうしたのに、これだけやったのにと考え、報われないと思うのは間違いです。
本当はそうしたその瞬間自分に返ってきているのですから。
それではまた。
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