世の中にはいろんな差別があります。
その差別は一概に全部が悪いというものではなくて、分けることでより良く過ごしやすい環境を作ることにもつながります。
例えばこれまで男性は外で仕事をし、女性は家事や育児など内での仕事をすることが一般的でした。
これは別に男性の方が優れているとかそういうことではなく、単純にその方が効率的だったりリスクを分散する目的があったり、悪意があってのものではないのだと私は思います。
差別って言うとなんか悪い風に聞こえますが何も上とか下って意味ではないと思うんですね。
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ただ最近は差別を意識しすぎて逆に差別になっていることがあるなと感じることがあります。
例えばトイレで男性用と女性用があるのとは別に、多目的トイレというものがありますね。
多目的トイレは名前の通り多目的に使われるトイレのことなのですが、車いすの方などの障害者の方は一般的なトイレだと用を足しづらいのでこの多目的トイレを使用します。
要介護の人なんかも1人では難しい場合があるのでこういったトイレを使用したりします。
それと他にもトランスジェンダーの人や同性愛の人なども多目的トイレを使う場合があります。
その理由としては、見た目は男性でも心は女性の方がいたとして、その方は心が女性なので服装も女性の格好をしているとします。
その時この方はどのトイレを使えばいいのか難しいところがあります。
体が男性だからと男性用のトイレに入るのは他の利用者に気を遣うことでしょうし、女性用トイレに入るのも他の利用者に気を遣いますね。
ですのでこういった場合に多目的トイレを使用する場合があります。
しかし、最近ではLGBTに「配慮」という名目で多目的トイレという名前からLGBT用トイレといった表記にしようと考える人がいるようです。
私は男性なのですが男性の私から考えてもこれが配慮になっていないことがわかります。
なぜならそんなトイレに入るということは私はLGBTですよと宣言するようなものだからです。
それが恥ずかしいことなわけではありません。
隠したいわけではありません。
しかし、わざわざ不特定多数の人にまで知らせる必要はないのです。
今の世の中では「差別」という問題に対してとても敏感になってきていて、古い考え方ではパワハラやセクハラなどといった差別問題につながるようなことも少なくありません。
差別問題を真剣に考えることは良いことだと思うのですが、先ほど例に挙げたトイレの件などを考えると上っ面でしか差別問題を考えられていない人もたくさんいるのだと思います。
私だってちゃんと向き合えているかと言われればそうではないのかもしれません。
無自覚に差別的な発言や考え方をしているのかもしれません。
ですが私たちは今後も差別についてよく考えていく必要があります。
一部の人が肩身の狭い思いをするような世の中、偏見を持って特別扱いばかりするような世の中から脱却していく必要があるのだと思います。
配慮という言葉は良かれと思ってしていることではあるのですが、差別的な目線から物事を考えてしまっているとも捉えられます。
人間なので自分の持つ視点からにはなってしまうかもしれませんが、できるだけ相手の立場に寄り添って考えられるように意識していくことが大事なのではないかと私は思います。
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